Deutsch-Sprachkurs 1981 ドイツ語学研修 (1/5)
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Inhalt 目次
1 Deutschland Teil1 ドイツその1
2 Sommerferien Schweiz und Österreich 夏季休暇 スイスとオーストリア
3 Deutschland Teil2 ドイツその2
4 Deutschland Teil3 ドイツその3
5 Niederlande und Italien オランダとイタリア
Überblick 概要
1981年(昭和58年)3月24日に日本を発ち、翌年3月15日に帰国するまでの約1年間、大学を休学して当時の西ドイツへ。平日は語学学校に通う傍ら、週末や夏季・冬期休暇など延べ約170日ドイツ及び周辺国の約90都市を旅しました。
当時のカメラはフィルム。スナップ写真はネガフィルムで。一方卒論のテーマになりそうな教会堂、都市交通はポジフィルム(カラースライド)で撮影。
それから40年、子育ては終わり2011年から9年連続で毎年2週間ほどドイツへ旅しましたが、20年からコロナ禍で行けないまま。それで当時撮影したポジフィルムを主に整理してサイトにまとめることに。
右は、当時作成した手書きの地図。赤枠の範囲がこのページで紹介する範囲です。
東西ドイツ全図(1981年)
●1981年のドイツ
データ
ドイツ全土
西ドイツ
BRD
東ドイツ
DDR

日本
①/②
人口(万人) 7,800 6,100 1,700 11,770 66%
面積(k㎡) 357,400 248,700 108,300 378,000 95%
1DM(西ドイツ・マルク)≒100円。
右は当時使った旅行ガイドブック。
当時のドイツは、自由主義経済に基づき、日本と同じような復興の道を歩んだ西ドイツと、ソ連指導下の社会主義国家東ドイツに分かれ、冷戦下、東西陣営の最前線でした。
1 Deutschland Teil1 ドイツその1
1-1 Schwäbisch Hall シュヴェービッシュ・ハル
1-2 Bamberg バンベルク
1-3 Nürnberg ニュルンベルク
1-4 München ミュンヘン
1-5 Regensburg レーゲンスブルク
1-6 Speyer シュパイヤー
1-7 Mannheim マンハイム
1-8 Ottobeuren オットーボイレン
1-9 Füssen フュッセン
1-10 Wies ヴィース
1-11 Landsberg am Lech ランツベルク
1-12 Augsburg アウグスブルク
1-13 Ulm ウルム
1-14 Dinkelsbühl ディンケルスビュール
1-15 Nördlingen ネルトリンゲン
1-16 Rotenburg o.d.T ローテンブルク
1-17 Stuttgart シュトゥットガルト
1-18 Tübingen テュービンゲン
1-19 Baden Baden バーデン・バーデン
1-20 Freiburg フライブルク
4月から7月まで4か月間は①シュヴェービッシュ・ハルで語学研修(2か月×2コース)。語学学校のバスツアーや週末、南ドイツの各地へ出かけました。出かけた順に時系列で紹介します。上の東西ドイツ全図から赤枠部分を切り取り、番号を入れました。
1-1 Schwäbisch Hall シュヴェービッシュ・ハル
●佐世保→東京(成田) 寝台特急さくら
写真1-1-1 EF30 写真1-1-2 FE65
左:まず実家がある佐世保を出発。今なら飛行機でひとっ飛びですが、今も昔も色々な乗り物に乗るのが好き。門司-下関間は防錆対策ステンレス車体交直流機関車EF30。
右:下関から先は、直流のEF65機関車が牽引。この2枚は下関駅で撮影したもよう。
●成田→ドイツ
写真1-1-3
3月24日夜、日本航空(JAL)便ボーイング747(通称ジャンボジェット)で成田空港を離陸。生まれて初めて乗る飛行機が国際線
当時は米アラスカ・アンカレッジに燃料給油で寄港。
冷戦終結後、シベリアルートが積極的に解放され、現在のように欧州直行便が多く飛ぶようになります。
右:(写真1-1-4)スカンジナビア半島かな。
写真1-1-5
隣席は、関東の大学生。高校時代にサッカー交流でドイツを訪れ、ドイツが好きになり、やはり1年間休学してレーゲンスブルク大学に籍を置いてドイツ語を1年間勉強するとのこと。
私が初めての海外渡航だったので、いろいろアドバイスをもらい心強かった。
写真1-1-6
Frankfurt am Main 到着地フランクフルトでは、彼の大学の先輩が迎えに来ていて、初対面ながら、右も左も言葉も分からず心細い私を助けて頂き、同地での宿も先輩にとってもらいました。写真は Main マイン川に架かる Eiserner Steg 鉄橋(1946再建、1993年改修)にて。背後の塔は Dom 大聖堂。これがドイツの地を踏んで最初のスナップ写真。
写真1-1-7 オペラ広場のトラム 写真1-1-8 グローセ・ボッケンハイマー通り
フランクフルトはドイツ語学研修その4>4-8 フランクフルトで詳しく紹介しますが、シュヴェービッシュ・ハルへ向かう前に撮影した街角の写真を少し掲載します。
左:Alte Oper 旧オペラ座の前 Opernplatz オペラ広場を行くトラム。現在この付近の路線は地下化されています。次は正面の通りへ向かいます。
右:Große Bockenheimer Str. グローセ・ボッケンハイマー通りの噴水は、Google ストリートビューを見ると40年以上経ってもそのまま。一方背後の店舗の多くは入れ替わり。右端の Käse Becker は大手チェーン店の Schlemmermeyer(美食家マイヤー)に。このチェーン店は2016年にマンハイムで見かけて以来、訪れるチャンスを狙っています。
写真1-1-9 カルベッヒャー・ガッセ 写真1-1-10 リープフラオエンベルクの噴水
左:噴水を通り過ぎ、Kalbächer Gasse カルベッヒャー・ガッセからグローセ・ボッケンハイマー通り方向の見返り。この付近の石張舗装は今も変わらず。
右:Brunnen auf dem Liebfrauenberg リープフラオエンベルク(聖母広場)の噴水(1770)。1970年に修復。背後左手は Liebfrauen 聖母教会(1344)。
それではフランクフルトを発ちシュヴェービッシュ・ハル(以下「SHA」という)へ。
上:当時購入した絵葉書 以下同じ
・フランクフルトから鉄道で約3時間。
・人口約3万8千人。中世の面影を色濃く残す、古城街道の都市
右:全面観光地図、手前左から、Wir über uns(公式生活ガイド)、観光小冊子、広告情報小冊子
赤丸が旧市街中心にある語学学校青丸が旧城壁外にある寮。両者の距離は500m、徒歩6分ほど。
写真1-1-11 鳥瞰写真 写真1-1-12 駅通り
Hall ハルには古い言葉で「塩」の意味があり、地名は塩の生産で栄えたシュヴァーベン地方のハルという意味。
左:駅かどこかに掲載してあった鳥瞰写真。Kocher コッヒャー川の谷に張り付くように、旧市街地が形成されています。
右:Bahnhofstr. 駅通り。毎週のようにこの駅から週末旅行に出掛けた通い慣れた道でした。視線の先には町のシンボル St.Michael 聖ミヒャエル教会。2016年に再訪したら、左側の雑木林に建物が建ち、歩道橋ができたり、整備が進んでいました。詳しくは2016ドイツ旅行>1-5 シュヴェービッシュ・ハル。それでは市街地へ降ります。
写真1-1-13 中心部
コッヒャー川の中州まで降りてきました。山の稜線に沿って左からに Rathaus 市庁舎の塔、聖ミヒャエル教会、右上は Neubau ノイバオ(大兵器庫)。左手前にはSulferturm und -Steg 塔と屋根付人道橋。ひな壇状になっているので、多数の建物が重なり、独得な歴史的景観です。ではコッヒャー川沿いに川下側から歩きます。
写真1-1-14 コッヒャー川と旧市街地  写真1-1-15 ヘンケルス橋
左:駅側の旧市街地とHenkersbrücke ヘンケルス橋。
右:川上の中州から見た同橋。
写真1-1-16 コッヒャー川の中州
中州の上流側。 左上にノイバオ。右上に学生寮の屋根が少しだけ見えています。
この写真はネガフィルム。上下はポジフィルム。ポジが色乗りも耐久性もいいのかな。この先、色乗りが悪い写真はネガと察してください。
写真1-1-17 コッヒャー川の中州 写真1-1-18 市立公園
左:更に川上へ。中央に中州が見えています。
右:さらに上流側の河畔は Stadtpark 市立公園。
写真1-1-20 ベンツの連接バス
写真1-1-19 ノイエ通り 写真1-1-21 バリアフリー公衆電話
左上:中心部の商店街 Neue Str. ノイエ(新)通り。正面は St.Johann 聖ヨハン教会(12世紀)。聖
写真1-1-22
ヨハネ騎士団の看護施設が起源。滞在当時は文化ホールでしたが、その後民間に売却され今は展示ホールだそうです。その左横は百貨店。
右上:一つ北側の Spitalstr. シュピタール(病院)通り。連接バスが珍しくて撮影。メルセデスベンツは総合自動車メーカーでトラックなどもあります。
右下:これも当時の日本では見ないバリアフリー公衆電話。携帯電話が無い時代、日本へ国際電話するときは、1DM(100円)玉を複数握りしめて、公衆電話へ向かいました。左写真はベネズエラ出身の学友。
写真1-1-23 左棟:図書館 右棟:語学学校
そのシュピタール通りのバス停前に図書館と語学学校(右)があります。語学学校について詳しくは後述。更に山手へ歩きます。
●聖ミヒャエル教会とマルクト広場
写真1-1-24 聖ミヒャエル教会 ロマネスク様式の塔とゴシック様式の聖堂
1156年造のロマネスク様式の聖堂は西面(正面)の塔のみ残して取壊し、1456年にゴシック様式で建替え。塔上の白い八角形部分(1539年木造で増築)は、暴風雨
で壊れ、1972年に石・コンクリート造で改築。手前の階段では Freilichtspiele 野外劇、堂内では演奏会も。
左(写真1-1-25):右側の黒い冊子はその演目と入場券(20DM)。演目三つのうち、私が見た6月15日は Don Juan Moliere モリエールの戯曲ドン・ジュアン。
水色の券は、Matthäuspassion J.B.Bach バッハのマタイ受難曲。堂内での演奏に、拍手しないお約束
左上の白い冊子は、ノイバウでのピアノ独奏。台湾出身で若干21歳の Chia Chou チョウ・チャさんは、その後カナダ市民・大学教授になられたようです。
写真1-1-26 写真1-1-27
上:通学路にある52段の大階段は、かっこうの休憩場所。
左(写真1-1-28):私が座っている教会前から、カメラをマルクト広場側へ向けた写真が次(撮影日は異なります)。
写真1-1-29 マルクト広場と市庁舎
Marktplatz マルクト(市場)広場では朝市開催中。正面のバロック様式市庁舎(1728)は、マルクト広場に面する建物では最も新しく、先の大戦で旧市街地の大部分は被害を免れたものの、市庁舎だけが焼夷弾で大きな被害を受け、1955年までに再建されたとのこと。
写真1-1-30 朝市 写真1-1-31 朝市
朝市は今でも水・土曜日午前中に開かれているようです。次は教会塔へ登ります。
写真1-1-32 コッヒャー川方向 写真1-1-33 郡庁舎方向
左:教会塔からコッヒャー川方向の眺め。右側縦道は、先ほど歩いてきたノイエ通り。
右:北方向。旧市街地の景観に溶け込んで分かりませんが、画面右側の道路 Langer Greben に沿って旧市街地側に現代建築の郡庁舎があります。この先向かいます。
●郡庁舎
写真1-1-34 東面
Landratsamt 郡庁舎東面。写真には写っていませんが、右側にある道路 Langer Greben ランガー・グラーベンは「長い塹壕(ざんごう)」という意味からして、城壁跡に建てられ、歴史を継承する意匠らしい。
写真1-1-35 北面 写真1-1-36 恐らく西面
左:2連棟の北面、屋内駐車場側。左側に道路ランガー・グラーベン。
右:噴水がありますが、現在は無いようで、場所の特定ができません。恐らく西面。
写真1-1-37 郡庁舎西面階段 写真1-1-38 グレーターハウス
左:階段手すりのブロンズ像が愉快。実用の手すりにはならないようだけど。
右;階段からの見返り。中央の一番高い Gräterhaus グレーターハウス(1605)は当地で最も美しい木組み家。グレーターとは人名らしい。現在は市所有の博物館。
●Goethe-Institut ゲーテ・インスティテュート(語学学校)
写真1-1-39 右棟が校舎、左棟は図書館。写真1-1-23の方向違い。
写真1-1-40 初級Ⅰ
写真1-1-41 屋外授業
語学学校は旧市街地の中心部にあります。
まずクラス分け試験があり、私は、第二外国語で2年間だけで、字ずらになれている程度だったので、Grundstufe Ⅰ 初級Ⅰ
クラスはとても国際的。授業は基本的にドイツ語のみ。たまに英語で解説があり、英語圏の学生がうらやましかった。最初は四苦八苦。寮に帰ってから日本から持参した文法書と首っきり。
Am 19.Mai. Es war an dem Tag gutes Wetter, dann hat unsere Klasse an Nachmittag in Ruine Limpurg einen Unterricht gemacht.
5月19日、その日はよい天気で私達のクラスは、リンプルク廃墟で午後授業をしました(帰国後アルバムに書いた独・日文)。
写真1-1-42 初級Ⅱ
写真1-1-43
1コースは2か月で、次の6月~7月はGrundstufe Ⅱ 初級Ⅱ。初級Ⅰの復習もあり、余裕が出てきました。コース・スタートの早いうちに集合写真を撮らないと、この写真のように欠席者が増えてしまいます。
右はワークブック。表紙に日本語があることから、日本人は大事な顧客だと分かります。実際どのクラスにも日本人が複数いました。今ページをめくると、一瞬戸惑う問題もあって、初級と言いながら侮れないレベルです。
写真1-1-44 写真1-1-45
Am 16. Juli kochten Wir(G.Ⅱ) zusammen Mittagessen.
6月16日、学校の厨房・食堂を使い、クラスで昼食を作りました。
この頃になると、日常会話に慣れてきます。
写真1-1-46 イタリアン・レストラン
入国してしばらくはメニューが読めず、満足に食事ができません。イタリアンなら、ピザやパスタなどイメージがわくので常連。写真左側は通学路にあるイタリアン・レストラン La Casa Toscana。 炭焼き窯で焼くピザがとても美味しかった。今でもピザの匂いをかぐと、当時が懐かしい。だから私にとって、ソーセージを超えてピザがドイツの香りです。
写真1-1-47 学生寮 写真1-1-48 学生寮
写真1-1-49 パーティ
ホームステイか学生寮か選べますが、自由を謳歌したい私は迷わず寮に。部屋は3階の10帖ほどの右写真の角部屋。各室基本的にツインですが、最初のコースは一人でした。
左:何かにつけて、日本人だけ、もしくはインターナショナルな学友と集まってパーティをしていました。
写真1-1-50 誕生会 写真1-1-51 誕生会
4月29日は22回目の誕生日。日本人学友が私の部屋に集まって誕生会。
後にも先にも、こんなに盛大に誕生日を祝ってもらったことはありません。右写真の中央は女性陣から頂いた鉢植えの花。
写真1-1-52 写真1-1-53 写真1-1-54
左:部屋から旧市街地方向の眺め。道路のジグザクの白線は駐車禁止。
右:Drehkippflügel ドレーキャップ窓。普通に観音開きだけでなく、縦にも倒れこみます。常時換気や転落防止に有効。
左:その窓から見える郊外側。旧市街地の外側と言え、このような陸屋根でもOKなんだと当時感じました。
写真1-1-56
右:寮の前にいつも駐車しているポルシェ911。ドイツ本国でもあまり見かけないスポーツカー。あたかも自分の車のように(笑い)。しかもナンバーも「911」。
写真1-1-55
写真1-1-57 写真1-1-58
左:その共同住宅へ来ました。谷に向かう西向き傾斜地を使った階段状の5階建て共同住宅。1階は屋内駐車場の入口らしい。
右:テラスは緑化されています。
●Kuchen- und Brunnenfest der Salzsieder 製塩業者のお菓子と井戸祭り
写真1-1-59 マルクト広場
6月初旬に、年に一度の盛大なお祭りがあります。祭りの起源は、中世、塩泉の浄化作業に駆り出された労働者に対する、慰労のご馳走だったらしい。
写真1-1-60 マルクト広場 写真1-1-61
左:上の写真の少し前、日暮れと共にたいまつのあかりが演出を盛り上げます。
右:翌日、コッヒャー川の中州のもイベント会場。
●Hochzeit 結婚式
写真1-1-63
写真1-1-62 写真1-1-64・65
週末、聖ミヒャエル教会の鐘が定刻を外れて鳴り続くと、結婚式があっているなと分かります。お祭りスタッフの結婚式だったのか、この日は特別な演出でした。
右下2枚:ついでに記念撮影してもらいました。
●Strassenfest シュトラーセン・フェスト(路上祭り)
Flohmarkt 蚤の市はドイツ各地で、主に週末を中心に開催されていますが、この町でもシュトラーセン・フェスト(4月25・26日)でありました。買わずとも見て回るだけで楽しい。この年代物の蓄音機1,900DM(約19万円)には驚きました。Flohとはまさしく「ノミ」
写真1-1-66
●Ruine Limpurg リンブルク廃墟
語学学校の屋外授業をリンプルク廃墟でしたことを上に書きました。
リンブルク廃墟は、町の郊外、語学学校から南東へ1.3kmの小高い丘の上。リンブルクは1200年代に伯爵の住いとして建てられ、1500年代に取り壊されたようです。
学生寮からは750mほど。周りは森で少々騒いでも迷惑にならないので恰好の遊び場。学友らと屋外パーティなどをよくしました。
写真1-1-67 写真1-1-68
右:リンプルク廃墟からは、直線で南へ約700m、コンブルク修道院(1078)が見えます。市庁舎から直線で約1.6km。 行ったはずが、ほとんど記憶に残っていません。コンブルク修道院について詳しくはBurgenwelt(※、独語)をご覧ください。
写真1-1-69
●Kloster Großcomburg コムブルク修道院教会
写真1-1-70
教会は1088年に奉献。外観は3本の塔を持つロマネスク様式。内部は18世紀初頭、バロック様式で装飾。今は世俗化され、州所有の教員養成機関として使われているとのこと。教会はガイド付きツアーの限定公開で、チャンスがあればまた訪れてみたい。
●Kloster Schöntal シェーンタール修道院
・SHAから北へ約40km。
・Jagst ヤクスト川の渓谷に開けた人口約5,600人の町
7月2日(木)語学学校の遠足で訪れました。
・1736年に完成したバロック様式の教会。1802年に世俗化され、市庁舎ほかで利用されています。航空写真で見ると、庭園は広く、見ごたえのある史跡です。
シェーンタール修道院
写真1-1-71 写真1-1-72
左:Klostergarten クロスターガルテン側から。
右:左側の教会と右側の修道院が接着しています。
写真1-1-73 正面 写真1-1-74 ステンドグラス
修道院と修道院教会は、一般的にはガイド付きツアーで見学可能。
写真1-1-75 貸し切りバス 写真1-1-76 ヤクスト橋
左:普段は路線バスとして使われている2階建てバスを貸し切り
右:Jagstbrücke Schöntal ヤクスト橋(1609)。ここは河畔の緑地。橋は左の木立の先へ続き、そこでヤクスト川を越えます。全長約87.5m、幅員6.1m。左端の集団が小さく見えるので、橋の大きさを実感。1945年先の大戦で爆破され、1950年に再建。
●Jagsttalbahn ヤクスト谷鉄道
写真1-1-77 ヘッドマーク「Jagsttalbahn 80 1901-1981」を付けたSL列車
ヤクスト川に沿って軌道幅750mmの狭軌鉄道が通っていて、蒸気機関車(SL)牽引の可愛い列車に乗りました。
写真1-1-78 SL列車 手持ちの鉄道路線図(注2)
写真1-1-79
右上:当時の鉄道路線図赤枠の Möckmühl メックミュール(ドイツ鉄道接続)と Dörzbach デルツバッハを結ぶ39.1kmの路線。1900年12月に貨物輸送を、翌01年3月に旅客輸送を開始。シェーンタールはほぼ中間地点。右下青枠はSHA。右横はこの鉄道を紹介する小冊子。
この鉄道は Deutsche Gesellschaft für Eisenbahngeschichte E. V. ドイツ鉄道歴史協会が運行する Museumsbahn 保存鉄道。
これも手持ちの当時の時刻表(注1)から。定期旅客列車は1979年に廃止。当時は、月に1~2日「Historische Dampfsonderzüge 保存蒸気特別列車」が1~2往復運行されていて、当日は運行日ではないので、語学学校の遠足は、特別に貸し切り運行だったらしい。
その後、貨物輸送は1986年まで続いたものの、1988年12月に完全運休。2021年12月現在再運行の取り組みがあるようです。
●Schloss Langenburg ランゲンブルク城
5月9日(土)日本人学友がホストファミリーと共にドライブするので、私も誘って頂きました。目的地は、SHAから北東へ約25km、ランゲンブルク城(1226~)。
この城は Hohenlohe-Langenburg ホーエンローエ・ランゲンブルク家が私有し、居住もする山城。戦災は逃れたものの、1963年の大火災で、東翼と北翼の一部が焼失し、その後再建されたそうです。かつての納屋を利用した自動車博物館に、約80台の車が展示されています。
👈ハイルブロン・フランクフルト             ニュルンベルク👉
写真1-1-80 Kochertalbrücke コッヒャー谷橋
途中高速6号線の高架橋コッヒャー谷橋の下をくぐります。完成した1979年から2年目。全長1,128m、地上高は最大185mで、現在でもドイツで最も高い高架橋らしい。
写真1-1-81
この城は、Burgenstraße 古城街道沿い。当時はそんな街道があるとは知る由もなく。
写真1-1-82 写真1-1-83 写真1-1-84 写真1-1-82
左から 城の前に止まっていた観光バスの前で。
・日本人学友とホストファミリー。城と城門をバックに石橋の上で。
・私。私の大学恩師もこのホストファミリー宅にホームステイしたそうです。
・車は1970年代にF1に参戦したイギリスの Hesketh Racing ヘスケス・レーシング。
写真1-1-86 Jagstbrücke Eichenau アイヒェナウのヤクスト橋  
写真1-1-87
帰り道、城から東へ約13kmのEichenau (Kirchberg an der Jagst) アイヒェナウという小さな集落に寄り道。ヤクスト川に架かる石橋 Jagstbrücke ヤクスト橋(1767)があります。左写真の碑銘によれば先の大戦で1945年に損壊、51に再建、79年に修復。
ちなみに訪問時はまだドイツ語初級でこの文章は読めず、将来の自分に期待して撮影。今ならスマホをかざせば翻訳アプリが訳してくれるので、便利になりました。最下段のREN.はRenovieren(修復する)の略かな。
●Backnang バックナング
右:(写真1-1-88)英国出身の学友が、自宅に招待してくれました。バックナングはSHAとシュトゥットガルトとの中間。人口約3万8千人、ドイツ木組みの家街道沿い。
1-2 Bamberg バンベルク
・SHAから車で北東へ約160km、2時間15分。米国学生グループのバス旅行に同行。
・【古城街道】レグニッツ川沿いの人口約77,000人。
【世界遺産】戦火を逃れた中世の町並み
写真1-2-1 大聖堂(奥)と新宮殿(手前)
4本の尖塔を持つロマネスク様式の Dom 大聖堂(1237)。堂内にある Der Bamberger Reiter バンベルク(1200頃)の騎馬像が有名。手前は司教の住いだった Neue Residenz 新宮殿(1704)。
写真1-2-2 聖ミヒャエル教会
左:ロマネスク様式のSt Michael 聖ミヒャエル教会(1121)と元修道院。
右は、観光地図 Stätten der Gastlichkeit laden ein (亀甲文字は自信がありません。「おもてなしの場所へご案内」かな)。
バンベルクはこの2枚のみしか撮影しておらず、記録を残していません。ドイツの都市は多かれ少なかれ、空襲を受け、元の景観に戻したか、全く新しく更新したかのどちらかですが、バンベルク・クラスの都市で、奇跡的に伝統的景観がそのまま残されているとは驚き。
1-3 Nürnberg ニュルンベルク
写真1-3-1
・SHAから東へ約130km、1時間半。語学学校のバスツアーで訪問(右写真)。
・【古城街道】人口約51万人。戦災で甚大な被害を受けるも、元通りに修復。クリスマス・マーケットが有名。
・左は Kaiserburg カイザーブルク(皇帝の城)のガイドブック(独語版)。
・一般的には、南の中央駅⇒旧市街地⇒北のカイザーブルクの順で回りますが、今回は撮影順にカイザーブルクから掲載します。
写真1-3-2 聖ローレンツ教会(左)と聖セバルドゥス教会(右)
上:次に紹介するカイザーブルクから眺める旧市街地。左奥は St. Lorenz 聖ローレンツ教会(1477)。右手前は St. Sebaldus 聖セバルドゥス教会(1273)。前者はゴシック様式、後者はロマネスクからゴシックへの過渡期の様式。塔上の金の玉がこの地方の教会の特徴かな。セバルドゥスとは、8世紀にこの地に住んでいた隠修士(孤独生活の修道士)とのこと。いずれもこの地を代表する大聖堂級の教会です。
写真1-3-3 聖ローレンツ教会遠景 写真1-3-4 聖ローレンツ教会近景
左:聖ローレンツ教会遠景。右:同近景もここに掲載します。
写真1-3-5 ジンヴェル塔 写真1-3-6 カイザーブルクの中庭
カイザーブルクは、隣接の Burggrafenburg ブルクグラーフェンブルク(城伯[城市の司令長官]の城)と合わせて Nürnberger Burg ニュルンベルク城を構成。
左 Sinwellturm ジンヴェル(巨大な円筒)塔(13世紀後半)。高さ41mで目立ちますが、空爆で生き残り、今は展望台です。
右上:nnenhof 中庭。最新のネット画像では、ツタはもっと繁茂。
右: (写真1-3-7)Innenhof. Tor 中庭入口の門扉。いかにもドイツらしい紋章をデザイン。
写真1-3-8 デューラーの家 写真1-3-9 中央広場
左:Dürer Haus デューラーの家(1420)。ルネッサンス期の巨匠画家デューラー(1471-1528)が晩年過ごした豪邸。
右:Hauptmarkt 中央広場の Frauenkirche フラウエン教会(左)と Schöner Brunnen 美しの泉(右)。クリスマス・マーケットは、この広場が主会場です。
写真1-3-10 深皿多段式噴水 写真1-3-11 州立劇場(歌劇場)
写真1-3-12
左:Schalen-Kaskaden-Brunnen 深皿多段式噴水(1977)。中心部の歩行者天国 Kaiserstraße 皇帝通りで見かけました。Googleストリートビューで見ると、今も変わらずこの場所にあります。
右上:Staatstheater(Opernhaus) 州立劇場(歌劇場)(1905)
右:州立劇場の向かいにある Germanisches Nationalmuseum ゲルマン国立博物館の前で、ヨルダン出身の学友と。
写真1-3-13 フラウエントアー
城壁の南端にある Frauentor フラウエントアー(1386)。城壁に4つあった城門の一つ。
写真1-3-14 中央駅
振り返ると中央駅(1905)。ドイツの中央駅は伝統的にミュンヘン中央駅のように頭端式ホームの「終着駅」が一般的ですが、ここは25番線がある欧州最大の通過駅とのこと。
写真1-3-15 トラム 写真1-3-16 トラム
左:Frauentorgraben 47 フラウエントアーグラーベン付近。現在この付近の路線は地下化され、地上を走る姿は見られません。そして左手のビルはホリデイインが入居。
右:同じ通りを少し西へ。背後のビルは今も変わらずあるようです。
写真1-3-17 駅前広場のトラム 写真1-3-18 トラムの軌道
左:Bahnhofplatz バーンホーフプラッツ(駅前広場)。背後の Grand Hotel グランド・ホテルは今も変わらずあります。
右:撮影場所不明。ボンネット型のトラックやVWビートルに時代を感じます。
写真1-3-19 トラム 写真1-3-20 トラム
左:Linie 7 Fürth Billinganlage 7番線 フュルト・ビリングアンラーゲ行きの連接車。この路線も今は地下化されているようです。
右:専用軌道を高速で走るトラム。
写真1-3-21 トラム 写真1-3-22 トラム
左:車内はクロスシート。日本の「チンチン電車」を凌ぐレベルに興味深々で多くの写真を撮影したもよう。
右:終点の線路はループで、車輛は常に一方通行で進むので、運転台は片方だけ。この車両は、左側にヘッドランプとパンタグラフがあるため左側へ進みます。右が付随車。
写真1-3-23 ドイツ鉄道学生会員証・1か月乗車券・ユースホステル会員証
ドイツでの暮らしにも慣れて着て、いよいよ鉄道一人旅の始まり。
左からドイツ鉄道のジュニア・パス(学生会員証)。中央:学生向けドイツ鉄道1か月乗り放題乗車券(170DM)を繰り返し買いました。右:ユースホステル会員証。
時刻表(注2)付属の鉄道路線図。乗車した路線を赤色蛍光ペンでマーキング。赤文字は滞在した語学学校がある町。黒文字は主な訪問地。
1-4 München ミュンヘン
・SHAから鉄道で南東へ約3時間
・バイエルンの州都。人口約145万人。ベルリン、ハンブルクにつぐドイツ第三の都市。
・右は観光地図。右側は英語版。語学学校の米国の学友が「Munich ミューニック」と言う地名に、最初面食らいました。
・名産品はビールと Weißwurst 白ソーセージ。
・ミュンヘンへは、6月にSHAから出掛け、理科の殿堂ドイツ博物館などを見学。10月にゲッティンゲンから学友らと Oktoberfest オクトーバーフェスト(9月下旬から10月初旬かけて Theresienwiese テレージエンヴィーゼ(テレーゼの緑地)42aで16日間開催される世界最大規模のビール祭り、左絵葉書)へ出かけました。
写真1-4-1 Hauptbahnhof 中央駅前 写真1-4-2 マリエン広場電停
左:まず6月。撮影記録を散逸し、ネット検索して場所を特定。まずは中央駅前にて。当時から地下鉄もありましたが、トラムが主役。現在でも82km、174電停あるそうです。
右:Marienplatz(Theatinerstr.)マリエン広場(テアティナー通り)電停付近。正面に見える渡り廊下はHypo Vereinsbank Gate ヒポ・フェラインス銀行ゲート。
写真1-4-3 バイエルン州立歌劇場 写真1-4-4 Spatenhaus シュパーテンハウス
左:マックス・ヨーゼフ広場に建つ Bayerische Staatsoper 州立歌劇場(1825)。左側にかつての王宮 Residenz レジデンツ(1385~)が少しだけ露出。現在は博物館などです。
右:カメラを左に振ると、角から2軒目に、有名な郷土料理店 シュパーテンハウス。
写真1-4-5 ヘルコマー広場電停付近 写真1-4-6 プリールマイヤー通り
左:Herkomerplatz ヘルコマー広場電停付近。緑化分離帯・専用軌道という、見たことがない贅沢な構成に思わずシャッターを切りました。
右:ビルの上に見える教会塔(Alter Peter 旧ペーター)、分岐軌道を参考にネット検索したら、中央駅前の Prielmayer str. プリールマイヤー通り。但し正面の[14]系統トラムは、当時も今も路線図になく謎。右側の建物は百貨店 Karlstadt カールシュタット。
写真1-4-7 新市庁舎 写真1-4-8 仕掛け時計
ネオ・ゴシック様式の Neues Rathaus 新市庁舎(1909)。塔の仕掛け時計が11時と12時に動き、マリエン広場は時計を見上げる観光客で混雑します。人形は等身大とのこと。
写真1-4-9 写真1-4-10
ここから10月。オクトーバーフェストの期間中、市内の宿は満室。それでゲッティンゲンから直通で片道約6時間の夜行列車で往復する0泊3日の強行軍。仕掛け時計を見て、広場にある Fischbrunnen フィッシュブルネン(魚の噴水)で記念撮影。ここは人気の撮影スポット・待合わせ場所です。
Asamkirche アザム教会(1746)
新市庁舎から南西へ約700m。建ち並ぶ建物に挟まれるように、豪華なバロック様式の教会があります。ここは南ドイツで活躍したアザム兄弟が、自宅屋敷に建てた私的な礼拝堂。それだけに兄弟の趣向が色濃く反映され、独創的な空間です。
下:玄関庇の見上げ。こだわりの造形が素晴らしい。ガイドブックでは積極的に紹介されていませんが、隠れた名所
写真1-4-11 アザム教会正面 写真1-4-12 玄関庇見上げ
●オクトーバーフェスト 毎年600万人が訪れる世界最大のビール祭り
写真1-4-13 観覧車から撮影したテレージエン緑地
上:祭りの会場 へ到着し、観覧車から撮影。東京ディズニーランド51haに近い空地に、この時期だけ仮設のビヤホール約10万席と、大規模な移動遊園地が出現。
写真1-4-14
飲めや歌えの、ものすごい盛り上がり、熱気で「派手な酔っ払いパーティ」。相席の人たちと肩を組んで歌うのが、「乾杯の歌 Ein Prosit(※、日本語)」や「飲め、飲め、兄弟よ 飲め Trink, trink, Brüderlein trink(※、独語)。」
左は、移動遊園地で、ハイテンションのスナップ写真
1-5 Regensburg レーゲンスブルク
・ミュンヘン中央駅から鉄道で北へ約1時間半。
【世界遺産】ドナウ河畔の古都。人口約15万人
右:Gastlichkeit an der Donau 宿と飲食店案内
Kunst an historischen Stätten 1981 コンサートやイベント情報
左:行きの飛行機で隣席だった関東の大学生を訪ねました。
右:レーゲンスブルク大学は、1962年に設立された総合大学で、学生数は約2万人。現代建築の校舎群です。大学図書館前の噴水で撮影。
写真1-5-1 写真1-5-2
写真1-5-4 大聖堂遠景
写真1-5-3 大聖堂 写真1-5-5 ウルリッヒ教会
左・右上:Dom 大聖堂(1450)。ケルン大聖堂と並ぶ、ゴシック様式の大聖堂。尖塔は1859-69に後付けされたそうです。つまり尖塔はネオ・ゴシック様式。全長85.40m、幅34.80m、天井高31.85m、塔の高さ105mで、おおむねケルン大聖堂の2/3にスケールダウンしつつ、写真だとケルン大聖堂と見まがうような大聖堂です。
右下:大聖堂のそばにある St.Ulrich ウルリッヒ教会(1238年頃)。初期のゴシック様式教会で、尖塔は老朽化で1860年頃撤去。現在はレーゲンスブルク教区博物館として使われています。
写真1-5-4 石橋と大聖堂
ドナウ川に架かる Steinerne Brücke 石橋(1146)と大聖堂。戦災を受けた旧市街は、新しく建て替える構想があったものの、市の経済状況が悪く停滞していたところに、歴史的な建造物を残すブームに乗って、軌道修正。修復作業は今も続いているとのこと。
写真1-5-5 ドナウ川と石橋 写真1-5-6 旧市庁舎
左:「石橋」という名の石橋は、幅約8m、長さ308.7m、アーチの数15。日本最長の石橋「耶馬渓橋(1923)」が幅4.2m、長さ116m、アーチの数8連なので、ほぼ3倍。日本では河川改修に伴って公園等に移設され引退した石橋も多く、このように「一級河川」で現役であってこそ、川の流れに逆らう橋の機能美を感じます。
右:Altes Rathaus 旧市庁舎。おおむね2度増築され、左側は最初の増築55m8階建の塔(1363)、正面は2度目の増築棟(1662)。バロック様式と紹介されていますが、外観からはルネサンス様式の端正さも感じます。
1-6 Speyer シュパイヤー
Heidelberg ハイデルベルク
・シュパイヤーへ向かう途中でハイデルベルクに寄りました。ドイツで第一級の観光地だから、どこを撮影しても絵になります。ところが「哲学者の道(そこからの眺めは左絵葉書の右上)」に撮影済みフィルムを置き忘れてしまい、あるのはトラムを撮影した4枚のみ。
・SHAから鉄道で西へ約2時間半
・人口約16万人。古城街道沿いの旅情溢れる歴史ある大学町
写真1-6-1 トラム 写真1-6-2・3 トラム
左:Römerkreis Süd レーマー環状南電停付近のもよう。写真の4系統は今はないようです。現在でも路線長25.1km、63電停あります。
右:この上下3枚は、ハイデルベルク中央駅の東にある Römerkreis レーマー環状。
写真1-6-4 トラム 写真1-6-5 レールバス
左:車輛は、当時西ドイツ各地でよく見かけた DUEWAG デュワグ社のGT6。
右:シュパイヤー中央駅に到着。この付近は当時まだ電化されておらず Schienenbus レールバスが主役でした。
・ハイデルベルクから鉄道で約50分。
・人口約5万人
右:見どころは【世界遺産】の大聖堂。中央は、地下聖堂の案内、背後2枚は観光地図。
写真1-6-6 古い門 写真1-6-7 抗議記念教会
左:中央駅から南へ歩くと Altpörtel 古い門(1250)があります。高さは55m。ドイツで、重要な城門の一つ。
右:門から南西へ歩くと、高さ100mの塔をもつネオ・ゴシック様式の Gedächtniskirche der Protestation 抗議記念教会(1904)があります。プロテスタントという言葉が生まれるきっかけとなった抗議活動(1529)を記念する教会。モザイク模様の屋根が美しい。
写真1-6-8 大聖堂西正面
古い門から東へ直線道路を進むと、正面に【世界遺産】のDom 大聖堂(1061年)が見えてきます。全長134m、幅37.62m、天井高33m、尖塔71.20mで、おおむねケルン大聖堂の2/3。1961年に創建当時のロマネスク様式に戻す復元工事が行われたそうです。
写真1-6-9 南側面 写真1-6-10 北側面
左:南側面。4本の尖塔があります。
右:北側面(写真右下)には Afra-Kapelle アフラ・チャペルという、殉教者「アウグスブルクの聖アフラ」にささげられた小さな礼拝堂があります。
左:Sankt Josef 聖ヨセフ教会(1914)。抗議記念教会の向かいにあるカトリック教会。塔から受ける第一印象はバロック様式ですが、ステンドグラスや造形にはロマネスク・ゴシック様式も感じられ、個性的な教会です。
大聖堂のみを目的に訪れましたが、思いがけず見どころが多く、ガイドブックでの取り扱いは小さいものの穴場。
2016にはシュパイヤー技術博物館に行き損ねてしまい、再訪したい都市の一つ。
写真1-6-11 聖ヨセフ教会
1-7 Mannheim マンハイム
・ハイデルベルクから北西へ約18km、鉄道で約20分。
・人口約31万人。
・先の大戦で、市街地はほぼ瓦解。宮殿(左絵葉書左下)、給水塔(同右)は再建。
・市中心部は、Mannheimer Quadrate(マンハイムの四角形、1600年頃)と呼ばれる格子状道路で区切られ、区画整理された町並み。
・Fahrplan Sommer 1981 トラムとバス路線の時刻表小冊子
・トラムは約80km、127電停、現在はハイデルベルクと結ぶ路線もあり、両都市間の中心部を乗り換えなしで移動できます。
・市街地は近代的なビルが建ち並び、観光というより、トラムが発達した都市ということで訪問
写真1-7-1 中央駅 写真1-7-2 中央駅前電停
左:マンハイム中央駅は、鉄道の要衝。
右:駅前の電停は、規模が大きく頻繁にトラムが往来しています。
写真1-7-3 トラム 写真1-7-4 トラム
左:中央駅付近で撮影したようです。
右:中心部のParadeplatz パラーデ広場電停で。
写真1-7-5 写真1-7-6 給水塔
左:これもパラーデ広場電停付近。トラムが走るPlanken Heidelberger Str. プランケン・ハイデルベルク通りはトランジットモール。日曜日なので人通りはまばら。正面奥に、次に紹介する給水塔が見えます。
右;マンハイムのランドマーク Wasserturm 給水塔(1889)。2000年に運用休止されており、撮影当時は現役。
マンハイムは、2016年に再訪しました。2016ドイツ旅行その3>3-3 マンハイムもご覧ください。
1-8 Ottobeuren オットーボイレン
南ドイツ、ロマンチック街道からやや外れたアルゴイ地方に、格調高いバロック様式の修道院付属教会(1766)があります。SHAから南へ約180km。
写真1-8-1
経由地の Memmingen メミンゲンまでは、ミュンヘン中央駅から鉄道で1時間~1時間半。
・メミンゲンからオットーボイレンまで約12km。鉄道は無く、路線バスで(右写真)。
・オットーボイレン人口約8,500人
・右:教会の小冊子。
南ドイツのバロック様式教会として、珠玉の一品で、世界遺産級ですが、行きにくいからかガイドブックでは積極的に紹介されていません。
写真1-8-2 北面 写真1-8-3 東面
左:教会は、一般的に東西向きに建っていますが、この教会は南北向きに建っています。北面の入口手前のブロンズ像は、教会を設計した Johann Michael Fischer フィッシャー(1691-1766)。彼の修道院建築の集大成と言われいます。
右:朝日に輝く東面。尖塔の高さ82m。
写真1-8-4 内陣
北側正面から内部へ。東側から明るい日差しが堂内を照らし、劇的な造形が浮き上がります。暗くなりがちなロマネスク様式の教会とは全く違う印象。
写真1-8-6 西面
写真1-8-5 内陣 写真1-8-7 共同住宅
左:全長82m、幅58.3m、天井高26m。人物の大きさからその巨大な空間が認識できます。
右上:西面。右手に見える修道院は、右絵葉書のように田の字型142m×128mで、サッカーフィールド2面分以上。当時の教会の財力には驚くばかり。
右下:教会近くの共同住宅。箱形の建物にせず、ここまでして屋根を架けるとは、いかにもドイツらしい。積雪対策でもあるのかな。
1-9 Füssen フュッセン
・右絵葉書のノイシュヴァンシュタイン城(白鳥城)の玄関口。南でオーストリア国境に接する。
・オットーボイレンから南東へ約70km、バス・鉄道で約3時間。ミュンヘン中央駅から鉄道で約2時間半。
・Lech レヒ川河畔、人口約1万6千。
・左:全82ページの観光・宿泊案内。表紙の写真は、Hohes Schloss ホーエス城(絵画館)、Stadtpfarrkirche St.Mang 聖マング教会など。
写真1-9-1 宿 写真1-9-2
左:泊まった Hotel Alpenhof ホテル・アルプスの宿。この宿は、新婚旅行で再訪。
右:バスが途中停車して、ガイドさんがこの木を説明してくれましたが、全く聞き取れませんでした。樹形が整っているので、クリスマスツリーによさそうなドイツトウヒかな。
写真1-9-4 白鳥城
写真1-9-3 白鳥城 写真1-9-5 ホーエンシュヴァンガウ城
【ロマンティック街道南の終点】北のWürzburg ヴュルツブルクからフュッセンまで約400km、ドイツでもっとも有名な観光コース Romantische Straße ロマンチック街道があります。個人旅行であれば、定期観光バスを利用して、途中の都市に泊まりながら3日~1週間ほどかけて巡ることになりますが、私は週末を数回利用して断続的に訪れました。そのスタートがここ Schloss Neuschwanstein 白鳥城。
左・右上:ディズニーランド・シンデレラ城のモデルである白鳥城(1892)。フュッセン中心部から東へ約5km。私が訪れた当時築89年の比較的新しい城。城塞とか宮殿というより、城主ルートヴィッヒ2世(1845~86)の「趣味の館(やかた)」。人工の洞窟が印象的。
右下:白鳥城へ向かう途中、右手に Schloß Hohenschwangau ホーエンシュヴァンガウ城が見えます。未訪問。12世紀に建てられた荒れ果てた城を、19世紀に修復。ルートヴィッヒ2世は幼少期をこの城で過ごしたそうです。
右:独語版ガイドブック
1-10 Wies ヴィース
●ロマンチック街道を南から北へ、途中のアウグスブルクまで
フュッセンで1泊し、翌朝ロマンチック街道沿いに走る観光パスで北上します。左はそのダイヤで、赤枠が乗った範囲
一番下フュッセン発、途中 ヴィース教会、エッヘルスバッハ高架橋、ランツベルクで下車観光し、アウグスブルクで降車。バスはそのまま北上し、ネルトリンゲン、ディンケルスビュール、ローテンブルクなどを経由してヴュルツブルクまで走ります。赤枠左隣の時刻は、ミュンヘン発ロマンチック街道をつまみ食いしてフランクフルトへ抜けるというパッケージ・ツアー並みの速達コース。
それでは【世界遺産】ヴィース教会(1754)へ。北東へ約26km、50分。牧歌的な農村地帯に小ぶりな教会が突然現れます。言い伝えから巡礼者が多く集まり、浄財を募ってこの教会を建て建てたとのこと。右は絵葉書。
写真1-10-1
設計は Dominikus Zimmermann ドミニクス・ツィンマーマン(1685-1766)。ロココ時代の漆喰左官のマイスター職人で、次に訪れるランツベルク市長も務めたとのこと。この教会への思い入れは深かったようで、亡くなるまでこの教会のそばに住み続けたそうです。
内部は、日曜午前のミサ中か、撮影禁止だったのかよく覚えていませんが、撮影していません。昨日見たオットーボイレンと甲乙つけがたい装飾で堂内が埋め尽くされています。滞在時間20分で次へ向かいます。右は独語版ガイドブック。
写真1-10-2
1-11 Landsberg am Lech ランツベルク
写真1-11-1 エッヘルスバッハ高架橋
ヴィース教会から東へ約9km、Ammerschlucht アマー渓谷に架かる Echelsbacher Hochbrücke エッヘルスバッハ高架橋(1929)でバスは止まりました。鉄筋コンクリート造全長183m、谷からの高さ76m,、130mのスパンは当時最長だったそうです。ちなみに西海橋(1955)は、鉄骨造全長316.26m、海面高43m。左は絵葉書。
・エッヘルスバッハ高架橋から北へ約43km、約1時間。
・人口約3万人の古都。
・ドナウの支流レヒ川のほとりに建つバイエルンのローテンブルク
・左:絵葉書、右:観光パンフレット
写真1-11-2
写真1-11-3 写真1-11-4
写真1-11-6
写真1-11-5 写真1-11-7
1-21 Nachwort あとがき
●ドイツとのつながり
ドイツ語の習い始めは、大学の第二外国語。
なぜドイツ語を選んだか。幼少のころ、母が高校で習ったという「カエルの合唱 Froschgesang、野ばら Heidenröslein 歓喜の歌(ベートーヴェン第九合唱) An die Freude」などを原語で繰り返し歌っていて、幼子は意味も分からず一緒に口ずさんていました。
それでドイツ語の意味を知りたかったから。ドイツ語の授業は楽しく、教授はよく脱線して色々な話をしてくれました。特にドイツ・ワインはおいしそう。
在学中、父からどこか海外へ行くようにと勧めがありました。当時英語は苦手で、いまさら英語圏に行って、英語が上達しても、上手な人はたくさんいる。それなら第二外国語で履修しているドイツへ語学研修に行かせてもらいました。
写真1-21-1
写真1-21-2
交換留学の正式なプログラムではなく、あくまで任意なので、1年休学。ドイツ語教授に相談して教授も行かれたという、ゲーテ・インスティテュートのシュヴェービッシュ・ハル校を勧めてもらいました。左上写真は初級Ⅰクラスでのスナップ写真。
ゲーテ・インスティトゥートは、ドイツ政府が設立した公的関で、外国人に対するドイツ語教育、文化交流などする非営利団体。
ドイツで飲むビールは格別。加えてワイン好きになって帰国しました(笑い)。21、2才だからまだ酒の味なんてよく分かりません。ドイツへ行って初めてワインを本格的に飲んで味を覚えました。それが左下写真のフランケン・ワイン。コクのある辛口です。
美味しいワインは国産でも、輸入品でも沢山ありますが、原体験となったこの味がどうしても忘れられません。このワインは、もともと生産量が限られ、日本への輸出量が少ない上に、私のようなサラリーマンにとって日常的に飲むには高すぎ。そこで今は、ドイツの醸造元にダース単位で直接注文して日本へ送ってもらっています。運賃を加算しても、レートにもよりますが、日本で買う金額の半値程度。
私が大学を卒業する前、本州の大学へ移られたドイツ語の教授を、10年ほど前フランケン・ワイン持参で訪ねました。数十年ぶりにお会いしましたが、ワイン談義で大いに盛り上がったことは言うまでもありません。
●Ravensburger Schüler Lexikon ラーフェンスブルガー学生百科事典
写真1-21-3
写真1-21-4
誕生日のお祝いに女性陣から鉢植えを頂いたことを上で書きましたが、男性陣からは「いずれ役に立つから」と、これを頂きました。ほぼ新書判(実測11.3×17.9cm)の5冊(左上写真)。ラーフェンスブルガーはドイツのゲーム、玩具メーカー及び出版社。日本では英語読みで「ラベンスバーガー」と呼ばれることが多いらしい。
読み返すと、中高生向けに書かれており、私の貧弱な趣味のドイツ語でもかなり読めます。それと1970~80年代のタイムカプセル。ベルリンを読むと(左下写真)、まさに壁で東西に隔てられた冷戦真っ只中。一般的にネットで調べ物をすると、現在進行形の事項は豊富にありますが、過去は、情報が限られるうえ、なかなかたどり着けないことがあります。この学生百科事典も私同様かなりくたびれましたが、今後も大切したい。
●ごみ収集
(写真1-21-5~9)
シュヴェービッシュ・ハルでごみ収集を初めて見たとき、メカニックな動きに感動しました(笑い)。
人間がゴミ箱を逆さにして、ごみが落ちるようにゴミ箱の底をドンドンと手で叩きますが、行程5でも、似たような衝撃をゴミ箱に与えるので愉快です。
これは是非記録に残しておきたいと思って撮ったのが右の写真。今なら動画で撮るところ。
今も、基本的に車の色も、その仕組みも変わっていない様子。ただ分別収集がすすんで、ゴミ箱が色別になっています(ドイツ在住の皆さん、そうですよね)。
カラスや猫に狙われることもなく、衛生的でよいシステムだなと思いますが、収集効率は、ゴミ袋をドンドン収集車に放り込める日本の方が高いと思われ、優劣は一概に決められないようです。
ちなみに行程1に写っている赤い箱は、郵便ポストではありません、ゴミ箱です。ドイツの郵便ポストは黄色です。
写真1 ごみ収集 町角のゴミ箱 行程1:収集日、町角に指定のゴミ箱を出します。ゴミ箱の大きさで収集料金が異なるため、皆さんギュウギュウに詰めます。
写真2 ごみ収集 収集車到着 行程2
ベンツ!のごみ収集車が到着
写真3 ごみ収集 ゴミ箱を運ぶ 行程3
スーツケースを転がすように、車の後ろに運びます。
写真4 ごみ収集 ゴミ箱を収集車にセット 行程4
受け金具にセットすると・・・。
写真5 ごみ収集 中身が放り込まれる 行程5
電動で持ち上げられて、中身が放り込まれる仕組み・・・。
注1:DB Kursbuch Baden-Württemberg 1981 Sommer
ドイツ鉄道バーデン=ヴュルテンベルク州時刻表 1981夏号
基本的には次の総合時刻表を使いました。ただローカルなバス路線は州版が詳しい。右は Übersichtskarte zum DB-Kursbuch 添付の路線図(約47×33cm)。
注2:DB Kursbuch Gesamtausgabe 1981/82 Winter
ドイツ鉄道総合時刻表 1981/82冬号
これを使って、ドイツ各地を旅行しました。1980/81冬号、1981夏号、そして最期に使った1981/82冬号は、実測1,370gもありながら日本まで持ち帰り。我ながら「乗り鉄」ぶりを認めつつ、ネット検索したら、当時10DM(1,000円)だったものが、ebeyで20~30Euroで出品されていたので驚き。
なお、添付の路線図(約60×74cm)は上で紹介。
●Staffelberg シュタッフェルベルク
バンベルクとクルムバッハ(2016年訪問)の中間にある山(539m)で、山頂には左の小冊子のAdelgundiskapelle アデルグンディス礼拝堂(1654)があります。当時自力でここまで行けるはずがなく、左の小冊子を買った経緯を覚えていません。
ネット検索すると、風光明媚で展望が素晴らしいし、ドライブにはもってこいのエリアなので、いずれ訪れてみたい。
●再訪したいシュパイヤー
写真4-21-10 2016年撮影
シュパイヤーへ2016年に再訪しました。右の1981年にゲットした観光地図に、2016年に泊まった赤丸の宿Rheinhotel Luxhofが既に記載されています。確かに時代を感じる宿でしたが、既に35年は経っている建物だったとは。
上は、2016年、6時20分頃、宿の近くのライン川に架かる橋から朝日に輝く教会塔。左から抗議記念教会、聖ヨセフ教会、大聖堂(青丸)、Dreifaltigkeitskirche 三位一体教会と同教会のLäutturm 鐘楼
1981年の観光地図
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