Deutsch-Sprachkurs 1981 ドイツ語学研修 (5/5)
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Inhalt 目次
1 Deutschland Teil1 ドイツその1
2 Sommerferien Schweiz und Österreich 夏季休暇 スイスとオーストリア
3 Deutschland Teil2 ドイツその2
4 Deutschland Teil3 ドイツその3
5 Niederlande und Italien オランダとイタリア
5 Niederlande und Italien オランダとイタリア
Niederlande オランダ Italien イタリア
5-1 Amsterdam アムステルダム
5-2 Zaandam ザーンダム
5-3 Den Haag デン・ハーグ
5-4 Scheveningen スヘフェニンゲン
5-5 Rotterdam ロッテルダム
5-6 Utrecht ユトレヒト
5-9 Venezia ヴェネツィア
5-10 Bologna ボローニャ
5-11 Roma ローマ
5-12 Firenze フィレンツェ
5-13 Pisa ピサ
5-14 Siena シエナ
5-15 Milano ミラノ
5-16 Casale Monferrato カザーレ・モンフェッラート
5-17 Nachwort あとがき
5-7 Lugano ルガーノ(スイス)
5-8 Streza ストレーザ
Niederlande オランダ 1981.12.23~1982.1.1
・この絵ハガキに書かれている俗称の「Holland」は、オランダ政府として2020年から使用廃止だそうです。
・オランダ語の国名は、Nederland(ネーデルラント)ですが、このサイトではドイツ語のNiederlandeと記載します。
・冬期休暇、ドイツ・ゲッティンゲンを出発し、クリスマスから年越しをオランダへ。
・人口1,730万人、面積41.864k㎡(九州7県比、人口1.36倍、面積99%)。
・最高地点は、ベルギー、ドイツ三国境の332m。
・1ギルダー(以下、f)≒82円(旅行当時)
5-1 Amsterdam アムステルダム
・オランダの首都。人口82万人。ただし国会、中央官庁、各国大使館の多くはデン・ハーグ
・左:当時購入した絵葉書。以下同じ。
・ドイツ・デュッセルドルフから約240km。
・旅行中の天気は、最高気温0度~8度、最低気温-5度~1度。どんよりした曇り空に小雨や小雪が舞い、凍える寒さ。
・カメラマンの腕の悪さから、写真の多くは暗く映りが悪いです。ご了承ください。
・背後:this is amsterdam 観光地図
・左:トラム・バス・鉄道の案内。その右側に回数乗車券 Nationale strippenkaart が写っています。オランダ国内なら各都市のトラム・バスなどの公共交通と共通。この紙式は2011年に廃止されたとのこと。
・右:レストランや見どころの案内。
●Reichsmuseum Amsterdam アムステルダム国立美術館
写真5-1-1
スタートは、中央駅からトラムで15分ほどの Rijksmuseum Amsterdam アムステルダム国立美術館(独:Reichsmuseum Amsterdam)から。
フェルメール、レンブラントなど17世紀オランダ絵画が充実。
左:Plan und Verzeichnis 各階平面図と展示物案内、Führer durch das Rijksmuseum Amsterdam 独語版ミュージアム・ガイド。
●Van Gogh Museum ファン・ゴッホ美術館
写真5-1-2 写真5-1-3 階段昇降機
左:国立美術館から南西へ約300m、徒歩4分。 ゴッホの絵画は当然として、ゴッホが愛した浮世絵もたくさん展示してあって驚いたことを思い出します。
右:車いす用階段昇降機。当時はまだ珍しかったので撮影したようです。
●Königliches Konzertgebäude ロイヤル・コンセルトヘボウ
写真5-1-4 コンセルトヘボウ
コンセルトヘボウ管弦楽団は日本公演もするので、名前は知っていましたが、今回独訳を読んで「コンサート・ホール」という意味だと初めて知りました。1988年創立100周年を迎えて、女王より「王立」の称号を下賜され、Koninklijk Concertgebouw ロイヤル・コンセルトヘボウになったとのこと。
左:コンサートに行きました。12.5f
Het Nederlands Kamerorkest オランダ室内管弦楽団
Kees Bakels ケース・バケルス(1945- オランダ出身の指揮者)
Bass Renato Capecchi バス:レナート・カペッキ(1923-1998、イタリアのバリトン、俳優、オペラの監督)
Obligate-Kontrabass Duncan McTier コントラバス:ダンカン・マクティアー(1954- イギリスのコントラバスソリスト)
演目:コレッリ、モーツァルト、レスピーギ
席は、舞台観覧席。つまりソリストの背中側。そのソリストがハンカチを取り出して盛大に鼻をかみました。こちらでは鼻をすすることはNGですが、かむことはOK。でもまさか舞台の観客の前でも容認なんだと驚いたことを覚えています。
写真5-1-5 荷物を吊り下げるフック 写真5-1-6 フォンデル公園
写真5-1-7 フォンデルの銅像
左:Pieter Cornelisz Hooftstraat ピーテル・コネリス・ホーフト通り 153付近。荷物を吊り下げるフック。今でも家具の出し入れに使われるとのこと。
右上・右:Vondelpark フォンデル公園。銅像は Joost-van-den-Vondel-Denkmal ヨースト・ファン・デン・フォンデル(1587-1679)ドイツ・ケルン生まれ、オランダで活躍した詩人、劇作家。
写真5-1-8 写真5-1-9 市立劇場
左:Eerste Constantijn Huygensstraat イルステ・コンスタンタイン・ハイゲンス通りのVondelbrug(Brug 200)フォンデル橋(200番橋)の近く。
右:Stadsschouwburg 市立劇場(独:Stadttheater、1894年)
写真5-1-10 運河 写真5-1-11 アンネ・フランクの家
左上:Reestraat レー通から眺めるWesterKerk 西教会(1631)。 オランダ最大のプロテスタント教会。塔の高さ85mで、アムステルダムで一番高い教会塔。画家レンブラントが埋葬されているとのこと。
運河が凍っています。別の運河では天然スケート場が開設されていました。それを見て、アイススケートが上手になりたいと思い、帰国後地元のアイススケート場に足しげく通って、ある程度滑られるようになりました。
教会の先にあるアンネ・フランクの家へ向かいます。
右:Anne Frank Huis アンネ・フランクの家(独:Anne-Frank-Haus)
左:当時の独語版パンフレットにマーキングしました。(青丸)隠れ家入口、(赤丸)アンネの部屋。
●Der Dam ダム広場
写真5-1-12 国立モニュメント
de Dam ダム広場(独:Der Dam)。ここはアムステル川を堰き止めるダムがあったところ。正面はNationaal Monument 国立モニュメント。第二次世界大戦で亡くなった人たちの霊を慰める戦没者慰霊塔とのこと。
写真5-1-13 写真5-1-14
左:右端の建物には peek&cloppenburg の看板が架かっていますが、今は Madame Tussauds ダム・タッソー館蝋人形館のようです。
右:Rokin ルーキン通り方向。この写真にも右端に同じ建物が写っています。
写真5-1-15 王宮と新教会
左手は Koninklijk Paleis 王宮(1655)、右手は Nieuwe Kerk 新教会(1540)。左端にはクリスマスツリーも。
写真5-1-16 アムステルダム中央駅
Station Amsterdam Centraal アムステルダム中央駅(1889)。最初に紹介した国立美術館と同じ設計者だそうで、国の玄関口にふさわしい堂々たる建物。
写真5-1-17 アムステルダム中央駅 写真5-1-18
左:駅のホーム。次のデンハーグへ向かうときに撮影。
右:運河沿いの建物。改装工事中らしい。
写真5-1-19 ヴァルター・ジュースキント橋 写真5-1-20 ザイド教会
左:Herengracht 新ヘーレン運河に架かる Walter Süskindbrug ヴァルター・ジュースキント橋(237番橋、1972年)。老朽化した鋼製橋の架け替えで、伝統的なデザインの跳ね橋にしたらしい。
右:ルネッサンス様式の zuiderkerk amsterdam ザイド(南)教会(1611)。オランダで最初のプロテスタント教会は、1988年から情報センターとして使われているとのこと。
写真5-1-21 モンテルバーンス塔 写真5-1-22 レンブラントハイス美術館
左:Montelbaanstoren モンテルバーンス塔(1516)。中世の城壁の名残。
右上:Museum Het Rembrandthuis レンブラントの家(美術館)。レンブラント全盛期の1639年から58年まで20年近く住んでいたとのこと。
右:レンブラントの家の独語版小冊子。
写真5-1-23 Oosterdok オーステルドックで撮影
運河クルーズに乗船。 正面は St.Nicolaas Kerk 聖ニコラス教会。左端、大きく伝統的な建物は Scheepvaarthuis((独:Schifffahrtshaus)共同事務所ビル。2007年から Grand Hotel Amrâth グランド・ホテル・アマラスらしく、泊まってみたい。
写真5-1-24 カイゼルス橋 写真5-1-25
左:上のモンテルバーンス塔の手前、Keizersbrug カイゼルス橋(286橋)は工事中。
右:写真5-1-19 ヴァルター・ジュースキント橋から西側の運河を撮影。
写真5-1-26 マヘレの跳ね橋
写真4-1-27
上:見どころの Magere Brug マヘレの跳ね橋(242番橋、1671)。独:Magere Brücke(細い橋、スキニーブリッジの意味)。アムステルダムで唯一の木造の跳ね橋で、2004年から歩行者と自転車だけが通行できるとのこと。
左:同行の語学学校の学友。
5-2 Zaandam ザーンダム
写真5-2-1
アムステルダム中央駅から鉄道で北へ約12分。風車の屋外博物館ザーンセ・スカンス(独:Mühlen im Freiluftmuseum Zaanse Schans)があるザーンダムへ。博物館へは更に徒歩15分。
写真5-2-2 写真5-2-3
左:春にはチューリップが咲きほこっているはずですが、厳冬で氷で覆われています。
右;観光地図。右下のアムステルダムからここまでの経路が分かる地図です。
5-3 Den Haag デン・ハーグ
・アムステルダムから鉄道で約1時間
事実上の首都。国会議事堂、王室宮殿、中央官庁、各国大使館などがあります。
・オランダ第三の都市。人口約48万人。
・以下、アムステルダムのJHに連泊しながら、各都市を日帰りで訪れました。
右側:scheveningen, den haag, kijkduin スヘフェニンゲン、デン・ハーグ、カイクダイン(ビーチリゾート)の観光地図。 逆三角形のマークは観光案内所 VVV(Vereniging voor Vreemdelingenverkeer、独:Verein für Ausländer)
左側:同じエリアの観光案内
左下:アムステルダムからの往復乗車券 19.25f。
写真5-3-1 中央電停付近 写真5-3-2
左:中心部の Den Haag Centrum デンハーグ中央電停付近。
右:3系統トラムが写っており、軌道沿いにGoogleストリート・ビューで丹念に捜しましたが、訪ね当たりませんでした。背後の建物は建て替わっているかも。ところでデンハーグのトラムは、アムステルダムの80.5kmより長い105kmあります。
写真5-3-3 バイテンホフ付近 写真5-3-4 バイテンホフ付近
左右共:中心部の Buitenhof バイテンホフ付近。右側のマクドナルドは今もあります。
右:屋上の水色のネオンサイン「de Volkskrant デ・フォルクスクラント(独:die Volkszeitung)」は、オランダの日刊新聞。
5-4 Scheveningen スヘフェニンゲン
・デン・ハーグ中央駅から北へ約5km。
・北海に面した砂浜のリゾート地。
・日本では「スケベニンゲン」と表記・発音されることもあり、是非訪れてみたいと思いました。ただ、訪問時は真冬のオフシーズンです。
写真5-4-1 桟橋
長い桟橋「De Pier」が海に突き出しています。中央の高い塔は展望台。今は観覧車もあります。
写真5-4-2 記念撮影 写真5-4-3 水族館
左:モニュメントで記念撮影。
右:「Aquarium 水族館」は、陸上の「Sea Life(世界最大の水族館運営会社)」に移転し、今は無いようです。
写真5-4-4 クールハウス(クアハウス)
写真左:カジノもある Kurhaus クールハウス(1886)
5-5 Rotterdam ロッテルダム
・アムステルダムから鉄道で1時間15分。
・欧州一の貨物取扱量を誇る港湾。
・オランダ第二の都市。人口64万人。
・地名はロッテ川を堰き止めるダムに由来。
・先の大戦で、ドイツによる空爆で旧市街と港は壊滅。
・大部分は-6mの海面下にあり、堤防によって保護され、ポンプで常に排水されているとのこと。
・独語版観光地図。ピンクで示された市街地は、中央を流れる水色の Nieuwe Maas ニューウェ・マース川の両岸に広がっています。これから訪れる旧市街は川の北側。
・左下:アムステルダムからの往復乗車券 24f。
●Rathaus 市庁舎
写真5-5-1 スタドハイス広場 写真5-5-2
左:Stadhuisplein スタドハイス広場から眺める新古典主義の Stadhuis 市庁舎(独Rathaus,1920)。
右:塔の高さは71m。建物は間口86mに対し奥行106mあります。
●St.Laurens Kerk 聖ローレンス教会
写真5-5-3 写真5-5-4
ゴシック様式の教会(1525)。都市中心部に残された中世唯一の建物だそうです。
写真5-5-5 プールス広場 写真5-5-6 ウェーナ
左:Beursplein プールス広場。何故この写真を撮ったか覚えていませんが、「HEMA」が面白かったからかな。Hemaは、オランダを代表する雑貨屋。自社ブランドを販売するため無印良品のような存在らしい。この建物は建て替わっているようですが、左奥の peek & cloppenburg の建物は今も変わらず。ちなみに peek & cloppenburg の本部はドイツ・デュッセルドルフですが、元の会社はここロッテルダム創業だそうです。
右:Weena ウェーナに建つ建物は、赤い看板も含め今も変わらないようです。
●De Doelen デ・ドゥーレン
写真5-5-7 南面
(1966 独:Die Ziele 目標) コンサート、コンベンションホールを持つ複合施設。現在は増築され外観は変わっています。また手前に建物が建ち並び、全景は撮影できません。
写真5-5-8 南東面 写真5-5-9 北面
左:南東面。現在は、街路樹が生い茂り、俯瞰できません。
右:北面。手前の緑地にはビルが建ち、このような写真撮影はもはやできないようです。
5-6 Utrecht ユトレヒト
・アムステルダムから鉄道で約30分
・オランダ国土のほぼ中心。オランダ最大の大学がある。
・オランダ第四の都市。人口約36万人。
・ミッフィーを生んだ絵本作家 Dick Bruna ディック・ブルーナ(1923-2017)の出身地。
写真5-6-1 鉄道
●Utrechter Dom ドム教会
写真5-6-2 写真5-6-3
左:ユトレヒト中央駅から徒歩9分、Stadhuisburg スタットハウス橋付近。左手の建物は市庁舎
右:Domkerk ドム教会の塔(1382)。高さは、オランダの教会の塔として最も高い112m。尖塔を突き上げるドイツ・ゴシック様式と異なり、フランス建築様式の影響があるようです。
私が訪れた10年後の1992年に、故郷佐世保にハウステンボスがオープンし、この塔をモデルにしたドムトールン(高さ105m)ができた時は、見事にそっくりだったので驚きました。
教会の塔が単独で建つとは不思議。資料によれば1674年、竜巻が教会を襲い、聖堂の一部が倒壊。倒壊した部分は再建されないまま、塔と次に紹介する聖堂とが残ったらしい。
写真5-6-4 写真5-6-5
左:左側は半分残った聖堂。右端に塔の一部が写っています。
右:別の角度から。倒壊した部分は、Domplein ドム広場(独:Domplatz)になっています。
写真5-6-6
Weesbrug ウェースブルグ。運河には多くの橋が架かっていて、そのうちの一つ。長崎の眼鏡橋に似ていたので、思わずシャッターを切ったようです。
写真5-6-7
ドム教会から北へ約300m。 Janskerkhof ヤンスケルクホフに建つ Beeld van Anne Frank アンネ・フランクの立像(独:Statue Denkmal der Anne Frank)。今はJanskerk ヤンス教会の前に移動しているようです。
アンネはユトレヒトには住んでいませんが、ホロコーストの犠牲者の象徴として銅像が置かれているもよう。
この像は1959年4月30日ユリアナ女王の誕生日に、ユトレヒトの若者の募金により、自治体に寄贈されたとのこと。私の誕生日の翌日に寄贈されたとは、縁を感じます。
1982年1月1日、約10日間のオランダの旅を終え、ドイツ・ゲッティンゲンへ戻り、1コース(2か月)の語学コースを受講。
語学研修コース期間中の1982年1・2月の週末旅行先は、その3>4-8 フランクフルトからスタート。
Italien イタリア 1982.3.1~13

左側:Reisen in Italien(イタリア旅行)
右側:Einladung zu einer Reise nach Italien(イタリア旅行への招待)
いずれもイタリア観光局の独語版ガイドブック
右下の黄色の乗車券 Italian Tourist Ticket 15日間をフランクフルトで購入159DM。
イタリア Italia の正式国名はイタリア共和国。ドイツ語の通称は Italien。
・人口約6,000万人、面積302,780k㎡(日本比、人口約1/2、面積80%).
・1リラ≒0.186円(当時)
・1982年2月末語学研修を終え、ドイツ・ゲッティンゲンを出発。⑦スイス南部、イタリア語圏のルガーノへ。➑ストレーザから、南は⓫首都ローマまで、語学学校の学友を訪ねながら北部イタリアを2週間旅行し、スイス・チューリッヒから帰国の途へ。
・旅行中のミラノの最低気温2度前後、最高気温11度前後。ローマの最低気温4度、最高気温15度前後。ローマはほぼ長崎の気候。
5-7 Lugano ルガーノ(スイス)
ドイツ最後の訪問地、その3>4-11 ギュンツブルクを発ち、スイス・イタリア語圏のルガーノまで学友を訪ねるため向かいます。車なら南へ道路距離約370km、4時間。そこを鉄道でウルム~ Friedrichshafen フリードリヒスハーフェン(ボーデン湖横断)~スイス・チューリッヒを経由して1日かけて移動します。
・人口64,000人、イタリア国境沿い、ティチーノ州最大の都市。
・左:ルガーノを含む Ticino ティチーノ州の絵葉書。中心にルガーノの画像(赤枠)
・次の写真2枚は、チューリッヒから鉄道で約1時間、Schwyz シュヴィーツ駅を通過中に車窓から撮影。Kleiner und Grosser Mythen 小・大ミューテン山。ルガーノまであと約2時間。
写真5-7-1 小・大ミューテン山 写真5-7-2 大ミューテン山(1,898m)
シュヴィーツ駅にて。写っている建物はネット検索すると、今も変わらずあるようです。
写真5-7-3 Monte Bre プレ山にある Punto Panoramico 展望台にて
ルガノに到着。学友が展望台に案内してくれました。ルガーノ市街の素晴らし眺め。
写真5-7-4 ルガーノ湖と市街地 写真5-7-5 オメガのショーウインドー
左:同じく展望台(約820m)から、ルガーノ湖と市街地(約270m)の眺め。これほどの近距離で標高差550mから見下ろす景色は、まさしく「風光明媚」。
右上:「スイスならオメガ」というショーウインドー。
右下(写真5-7-6):学友宅に泊まらせてもらい、夕飯を頂きます。習慣的に夕飯は燭台のあかりだけとのこと。
写真5-7-8
左写真をから右へカメラを振ると、イタリアとの国境地帯。
写真5-7-7 イタリア・ポルレッツァ方向 写真5-7-9
左:この3枚もブレ山からの眺め。イタリア Porlezza ポルレッツァ方向
右:正面奥は【世界自然遺産】Monte San Giorgio サン・ジョルジョ山。写真の範囲はほぼスイスですが、左湖畔にイタリア領飛地 Campione d'ltalia カンピョーネ・ディターリア(人口約1,900人)があります。地名は「イタリアのチャンピオン」という意味らしい。
●Locarno ロカルノ
・次の訪問地イタリア・ストレーザまではルガーノ在住の学友が車で送ってくれました。約100km、2時間。
・絵葉書は、ルガーノからストレーザまでのほぼ中間、経由地の Locarno ロカルノ。この南はイタリア。
・人口15,000人。Lago Maggiore マッジョーレ湖畔の旧市街地は歴史的景観の観光地。
写真5-7-10 写真5-7-11
左:中心部の Seepromenade 遊歩道。正面は Marmontana マルモンタナ(2,316m)。
右:左写真のやや南で撮影。左端の白い建物は四つ星ホテル Hotel la Palma au Lac。面するマッジョーレ湖は、南北にとても長く、面積は212.2k㎡(大村湾321k㎡の2/3)。
●Castelli di Cannero カステッリ・ディ・カンネロ(カンネロ城)
写真5-7-12
マッジョーレ湖を南に走り、イタリアへ入国すると、岩礁に廃墟城が見えます。11~12世紀に建てられ、16世紀ごろから廃墟で、野鳥の楽園らしい。
4-8 Streza ストレーザ
・人口 約5,000人
・マッジョーレ湖に面したイタリアで名高い保養・観光地。
写真5-8-1
写真4-8-2
上:暮れなずむマッジョーレ湖
左:カルロは4か月間語学学校の寮でのルームメイト。
背後は、彼の父が共同経営するホテル。彼の立派な自宅に泊まらせてもらいました。
翌朝、ここから周遊乗車券を使って一人旅。ミラノ中央駅へ約1時間。ここで約30kgのスーツケースを預けて、リュックサック一つでヴェネツィアへ、ベローナ経由で3時間半。
4-9 Venezia ヴェネツィア
【世界遺産】
・177の島々、150を超える運河には400の橋が架かる水の都。
英:Venice ヴェニス、独:Venedig。
・人口 26万人。
絵葉書 観光地図
●Canal Grande カナル・グランデ(大運河)
写真5-9-1 駅前 写真5-9-2
左:Stazione di Venezia Santa Lucia ヴェネツィア・サンタ・ルチーア駅前。
右:カナル・グランデを運行する水上バスで Piazza San Marco サン・マルコ広場へ。
写真5-9-3 写真5-9-4
右:ゴンドラ。一人旅では乗れません(笑い)。約10年後の新婚旅行で乗りました。
写真5-9-5 Ponte di Rialto リアルト橋
リアルト橋(16世紀)。通過後の見返り撮影。橋の上は商店が並ぶアーケード。
写真5-9-6
絵画のような色合いの風景。
写真5-9-7 写真5-9-8
左:リアルト橋から約500m。右端はPalazzo Tiepolo Passi というアパートホテル。
右:木製の Ponte dell' Accademia アッカデーミア橋(1933)。
●Piazza di San Marco サン・マルコ広場
写真5-9-9
サン・マルコ広場。157m×82mだそうですが、台形なので実際以上に奥行を感じます。
写真5-9-10 サンマルコ時計台 写真5-9-11 サン・マルコ小広場
左:Torre dell’orologio サンマルコ時計台(1499)。
右:Piazzetta San Marco サン・マルコ小広場とその先は海。
写真5-9-12 サン・マルコ小広場 写真5-9-13 ため息橋
左:サン・マルコ小広場には、列柱が2本。
右:Ponte dei Sospiri ため息橋(16世紀)。デゥカーレ宮殿から新牢獄へ繋ぐこの橋を渡った囚人は、もう戻れないこの世との別れを惜しみ橋の小窓で溜息をついたことから。
写真5-9-14 写真5-9-15
カメラを海へ向けると、Chiesa di San Giorgio Maggiore サン・ジョルジョ・マッジョーレ島にある同名のルネサンス様式の聖堂(聖ジョージ[独Georg]のための大教会)。
写真5-9-16 写真5-9-17
カメラを更に右へ振ると、Basilica di Santa Maria della Salute サンタ・マリア・デッラ・サルーテ(救済の聖母マリア)聖堂。大運河の出口にあるバロック様式の教(1687)。
写真5-9-18
Palazzo Ducale ドゥカーレ宮殿。昔のヴェネツィア共和国の総督の居城及び執務所。
写真5-9-19 宮殿中庭 写真5-9-20 サン・マルコ寺院
左:宮殿中庭。各階で異なるデザインのアーチが、大きな外壁の単調さを防いでいます。
右:サン・マルコ寺院が接着。色合いが揃っているので、一つの建物みたいな印象。
写真5-9-22 鐘楼からの眺め
写真5-9-21 サン・マルコの鐘楼 写真5-9-23 鐘楼からの眺め
左:Campanile di San Marco サン・マルコの鐘楼。高さ98.6m。1514年に完成した鐘楼は、1902年に崩壊したため、1912年に再建したとのこと。
写真5-9-24 サン・ジョルジョ・マッジョーレ島とジューデッカ島
同じく鐘楼から。左の島は、サン・ジョルジョ・マッジョーレ島(9.98ha)と同教会(1610)。右は Isola della Giudecca ジューデッカ島
●Basilica di San Marco サン・マルコ寺院
写真5-9-25
ビザンチン様式のサン・マルコ寺院(9世紀)。オリエントの空気を色濃く感じます。
写真5-9-27
円蓋天井の黄金のモザイク
写真5-9-26 正面 写真5-9-28
左:豪華な正面
右:鐘楼からの眺め。五つの白いドームとその先のレンガ色の市街地が対称的。
写真5-9-29
水上バスでヴェネツィアングラスの Murano ムラーノ島へ。正面はサン・マルコ広場。
写真5-9-30
水上バスは西へ。ヴェネツィア大学付近。この付近は現代の「港湾」らしい。
写真5-9-31 写真5-9-32 サント・ステファノ教会
左:さらに2隻の客船。かなり広い岸壁が用意されていることが分かります。
右:ムラーノ島から戻りました。サン・マルコ広場から、駅方向へ迷路のような路地を歩くと、途中に Chiesa di Santo Stefano サント・ステファノ教会がありました。
ヴェネツィアは、都市自体がテーマパークのような唯一無二の存在と感じます。
5-10 Bologna ボローニャ
・人口約39万人
・ヴェネツィアから南西へ約160km、鉄道で約1時間40分。
・ここでも語学学校の学友を訪ねました。
・スパゲティのソース「ボロネーゼ」発祥の地。
・1088年創立の西欧最古のボローニャ大学。
写真5-10-1 ボスコの聖ミッシェルの見晴台
写真5-10-2
最初に学友が車で案内してくれた場所は、小高い Belvedere di San Michele in Bosco ボスコの聖ミッシェルのベルヴェデーレ(見晴台)
正面に、ボローニャの斜塔(写真5-10-8)、やや左手に巨大なサンペトローニオ聖堂(写真5-10-12)が見えます。
●Basilica di Santo Stefano サント・ステーファノの教会群
写真5-10-3 ピラトの中庭
その後は、車を置いて中心部を徒歩で観光。まず最初はサント・ステファノの教会群。写真は Cortile di Pilato ピラトの中庭。
当初、七つの教会が一団を形成。20世紀初頭の大改造で4つの教会に再編されたらしい。「ロマネスク」とは「ローマ風の」という意味ですが、ロマネスク様式のお手本のような造形。
写真5-10-4 中庭 写真5-10-5 聖墳墓聖堂
左:こちらはもう一つの中庭。中世にタイムスリップしたみたい。
右:聖墳墓聖堂 。エルサレムに見立てたらしい。
写真5-10-6 写真5-10-7
左:Piazza Santo Stefano サント・ステーファノ広場に面したアーケード。
右:学友のお父さんは靴職人。その店舗前で学友のスナップ。
写真5-10-9 サンペトローニオ聖堂
写真5-10-8 ボローニャの斜塔 写真5-10-10
左:ボローニャの斜塔:右は Torre degli Asinelli アシネッリの塔97m(1119)。西に2.23m(1.3度)傾斜。左は Torre della Garisenda ガリセンダの塔48m(1110)。完成時は約60mあったものの、構造的な問題で12m減築。斜塔はピサだけじゃなかった。両塔の名前は建てた家族で、その時代富豪は争って高い塔を建てたらしい。
右上:アシネッリの塔の498段の階段を登り、頂上からの展望。中央は巨大なサンペトローニオ聖堂。
右下:赤いレンガ色に染まる町並みが美しい。
写真5-10-11 エンツォ王宮とポデスタ宮
Palazzo Re Enzo エンツォ王宮(1245)を Piazza del Nettuno ネットゥーノ広場から撮影。捕虜としてこの地に幽閉されていた神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世の息子エンツォにちなむらしい。
右後ろの塔は接着している Palazzo del Podesta ポデスタ宮(1200頃)。
●Basilica di San Petronio サン・ペトローニオ聖堂
写真5-10-12 北側妻面 写真5-10-13
左:ボローニャの守護聖人で5世紀の司教サン・ペトローニオに奉献された教会で、世界で5番目に大きい教会(間口60m、奥行132m)(1390)。レンガ造では史上最大らしい。下半分の白大理石は、妻側全面を覆う計画が、この写真撮影から40年後も未完のまま。
右:教会自体も未完成らしく、身廊だけで袖廊がない長方形
写真5-10-14 写真5-10-15
精緻なステンドグラスが美しい。
5-11 Roma ローマ
・イタリアの首都にしてイタリア最大の都市。人口約290万人。
【世界遺産】カトリックの総本山バチカン市国が市内にある。
・ボローニャから南へ約400km、鉄道で約2時間10分(2021年現在)
・ローマの経済は基本的に行政と観光。
左:観光地図 Plan-Führer(2,500リラ)。一枚ものの大きな地図と各観光地を写真と5か国語の文章で紹介する小冊子のセット。
右:泊まったホテル Continentale のTermini テルミニ駅(中央駅)からの地図カード。テルミニとは近くの浴場遺跡テルメに由来する説と、終着の意味説があるらしい。
オードリー・ヘプバーンがアン王女役で主演した映画「Roman Holiday ローマの休日(米1953)」のロケ地探訪。ただ、Bocca della Verità 真実の口の写真はありません。映画では手を入れるのを躊躇するほど口が奥深いように「演出」されていました。右は1990年の新婚旅行時の写真。
写真5-11-1 蜂の噴水

Fontana delle Api 蜂の噴水(1644)。バルベリーニ広場のはずれにあり、3匹の蜂はバルベリーニ家の紋章に由来。
●Piazza di Spagna スペイン広場
写真5-11-2 スペイン広場とトリニタ・デイ・モンティ教会
写真5-11-3 船の噴水
由来は、間近にスペイン大使館があることから。広場の上には Chiesa della Trinità dei Monti トリニタ・デイ・モンティ教会(16世紀)。アン王女は階段に座ってアイスを食べます。今は保全のため座込み禁止らしい。
右:広場にある Fontana della Barcaccia 船の噴水(1629)。ここも3匹の蜂をあしらった装飾。
写真5-11-4 ピンチョの丘からの眺め
Il monumento ai fratelli Cairoli al Pincio ピンチョの丘にあるカイローリ兄弟の記念碑。ピンチョとは紀元4世紀にこの丘を所有した一族 Pincii に由来するらしい。
写真5-11-5 ポポロ(市民)広場
Piazza del Popolo ポポロ広場。ローマの入口。中心にはフラミニアのオベリスク。紀元前10年、エジプトから運ばれてきたラムセス2世のオベリスクとのこと。
写真5-11-7 広場にある噴水
左(写真5-11-6):Piazza Colonna コロンナ広場にある Colonna di Marco Aurelio マルクス・アウレリウス記念柱(紀元193年)。
●Fontana di Trevi トレヴィの泉
写真5-11-8
泉(1762)の背後は Palazzo Poli ポーリ宮殿。お約束で後ろ向きでコインを投げ入れました。アン王女は近くの美容室で髪をカット。
【世界遺産】Basilica di San Pietro サン・ピエトロ大聖堂
写真5-11-9
サン・ピエトロ大聖堂(1626)。カトリックの総本山。バチカン宮殿、同美術館などと共にバチカン市国として世界遺産。もともと聖ペテロの墓を巡礼する教会とのこと。
写真5-11-10 双子の噴水 写真5-11-11 サン・ピエトロ広場
左:Piazza San Pietro サン・ピエトロ広場(1667)にある Fontana del Bernini ベルニーニの噴水。左右2か所にあり双子の噴水と呼ばれています。
右:広場前方の入口まで約340m。中央のオベリスクは高さ25.5m。半端ないスケール。
写真5-11-12 聖ペテロの玉座 写真5-11-13 祭壇天蓋
左:聖ペテロの玉座(独:Cathedra Petri)。上部のオレンジ色に光る円は「精霊の象徴としての鳩」とのこと。
右:チボリウム(祭壇天蓋、独:Ziborium)。殉教者の墓の目印・保護のために設置。イタリアの教会では一般的らしい。
写真5-11-14
高さ約120m、最大幅約156m、長さ211.5m、総面積49,737㎡(面積は東京ドームとほぼ同じ)。ケルン大聖堂(幅86.25m、長さ144.58m、面積7,914㎡)も巨大ですがそれをしのぎ、ローマ教皇にふさわしく、キリスト教会建築としては世界最大級。
●Musei Vaticani バチカン美術館
美術館入口の二重らせん階段。上りと下りが一体化。
館内の見どころは Cappella Sistina システィーナ礼拝堂。ミケランジェロの天井画をはじめ、堂内は息をのむ美しさ。撮影禁止なので、写真はありません。
写真5-11-15
写真5-11-16 写真5-11-17
左右:Via Barletta バルレッタ通りにある電停 Ottaviano オッタビアーノ付近。ローマのトラムは周辺部にあり、観光コースから少し離れて撮影しました。
●Foro Romano フォロ・ロマーノ
写真5-11-18 写真5-11-19 マクセンティウス帝のバシリカ
左:古代ローマ(紀元前8世紀~紀元5世紀)の遺跡で、当時の市民生活の中心。
アン王女は、セプティミウス凱旋門そばで寝ていました。
右:Basilica Maxentii マクセンティウス帝のバシリカ(312)は公会堂跡。手前に写っている人物と比べると、その巨大さが分かります。
●Colosseo コロッセオ
写真5-11-20
名実共にローマ観光の目玉の一つ。円形闘技場(80)。長径187.5m、短径156.5mの楕円で、面積3,357㎡、高さ48m。収容人員5万人以上。後世の建造物の「採石場」になり、外周部は半分ほどになっています。アン王女とジョーはスクーターで訪れました。
写真5-11-21 写真5-11-22
左:フォロ・ロマーノのサクラ通り付近から撮影。
右:アリーナ下の迷路のような地下部分は、上から眺めるだけでしたが、2021年6月から観光客が歩くことができるようになったとのこと。
●Terme di Caracalla カラカラ浴場
写真5-11-23
カラカラ帝により217年に完成。施設は225m×185m、2千~3千の浴槽。これは50mプール(50m×25m)28面相当分。世界最大の浴場で、レジャー施設だったらしい。
写真5-11-24 写真5-11-25
バスを撮影した理由はもはや覚えていませんが、恐らく、ドイツのメルセデスベンツやマン(Maschinenfabrik Augsburg-Nürnberg)のバスとデザインが違うからかな。
●Pantheon パンテオン(神殿)
写真5-11-26
様々なローマ神を奉る万神殿で、ローマ建築の最も完全な遺構(128再建)。基礎は古代ローマで発明されたコンクリート造。内部は直径、高さとも43.3m。クーポラ(ドーム)の頂上は直径9mの天窓。雨が降ると床が濡れ、天とつながる神聖な雰囲気を感じました。
写真5-11-28
左(写真5-11-27):パンテオンの前にあるロトンダ広場にはオペリスク(123改修)が建っています。
アン王女とジョーはここにあるカフェで休憩。
上:オベリスクの台座(1711)には愉快な表情が掘られています。
●Piazza Navona ナヴォーナ広場
写真5-11-30 四大河の噴水
写真5-11-29 四大河の噴水 写真5-11-31 ネプチューンの噴水
左:南北約250m、東西約50mの細長い広場に、三つの噴水があります。中央の四大河の噴水にはオベリスクも。右上:水は魚の口から排水。
右下:ネプチューンの噴水。もう一つはムーア人の噴水(写真無し)。
●Castel Sant' Angelo サンタンジェロ城
写真5-11-32
もともとローマ歴代皇帝の墓(139)。今は国立博物館。手前はサンタンジェロ橋。
「ローマの休日」では、クライマックスに船上パーティのシーンで登場。
5-12 Firenze フィレンツェ
・人口約39万人
・ローマから北へ約270km
【世界遺産】ルネッサンスの「花の都」
・富豪メディチ家
右:日本語版観光地図
●Basilica di Santa Maria del Fiore 花の聖母教会
写真5-12-1 左から大聖堂、鐘楼、洗礼堂
右から八角形の Battistero di San Giovanni サン・ジョヴァンニ洗礼堂(1202)、その奥 Campanile di Giotto ジョットの鐘楼(1387)高さ約84m、左奥 Duomo ドゥオーモ(大聖堂、1436)。白、ピンク、緑の大理石の幾何学模様はイタリア・ゴシック様式の特徴。
写真5-12-2 洗礼堂と鐘楼
写真5-12-3 大聖堂内部 写真5-12-4 大聖堂内部
高さ90mのクーポラ(ドーム)頂上まで、464段の階段を登って行きます。途中、堂内を見下ろします。身廊も八角形で、大理石床の幾何学模様がよくわかります。
写真5-12-5 ベッキオ宮殿
頂上の展望台から。正面は Palazzo Vecchio ベッキオ宮殿(1314)。
写真5-12-6 写真5-12-7
左:北東方向。クーポラの影がはっきり。直線道路の先はゲラルデスカ庭園。
右:San Lorenzo サン・ロレンツィオ聖堂。同地でもっとも古い教会の一つ。
●Chiesa di Santa Croce サンタ・クローチェ教会
写真5-12-8
ミケランジェロ、ガリレオ、マキャヴェッリ、ロッシーニなど有名人の埋葬場所で「イタリアの栄光のパンテオン」と呼ばれています。それでは教会まで歩きます。
写真5-12-9 ステンドグラス 写真5-12-10 内陣
堂内。写真のステンドグラスだけでなく、壁面を飾るフレスコ画も美しい。
●Palazzo Vecchio ベッキオ宮殿
写真5-12-11
フィレンツェ共和国政庁舎として建てられ、要塞のような外観ですが、現在も市庁舎。塔の高さは94m。500人のホールなど、内部の見どころも多く、再訪したい。
写真5-12-12 ネプチューンの噴水 写真5-12-13 宮殿玄関口
左:宮殿前は、Piazza della Signoria シニョリーア広場。ネプチューンの噴水(1575)。
右:宮殿玄関口には二つの彫刻。左はミケランジェロのダビデ像(複製)。オリジナル(1504)はアカデミア美術館に展示。右はヘラクレスとカークス(ヴァンディネッリ、1533)。カークスとはローマ神話に登場する怪物。
●Ponte Vecchio ヴェッキオ橋
写真5-12-14
アルノ川に架かるフィレンツェ最古の橋(1345、独:Alte Brücke[古い橋])。橋には宝飾店が並んでいます。先の大戦でドイツ軍が同地から撤退するとき市内で唯一破壊されなかった橋で、ヒットラーは橋を無傷で残すよう命じたそうです。
●Galleria degli Uffizi ウフィツィ美術館
写真5-12-15 サン・マルコ広場 写真5-12-16 運河
イタリア・ルネサンス絵画を収蔵する、イタリアの美術館としては質、量共に最大。フラッシュ無しなら撮影可でした。この2枚は、数日前訪れたばかりのヴェネツィアが描かれていて印象に残ったので、思わずシャッターを切りました。
4-13 Pisa ピサ
・人口約9万人。
・フィレンツェから西へ約90km。フィレンツェから日帰り観光。
・ピサの斜塔
右:観光地図
【世界遺産】Piazza del Duomo ピサのドゥオモ広場
写真5-13-1 洗礼堂、大聖堂、鐘楼(ピサの斜塔)
ピサの斜塔を見に行きました。行って初めて、斜塔は大聖堂に付属する鐘楼と知りました。左から Battistero di San Giovanni 洗礼堂(1390)、Duomo di Pisa 大聖堂(1272)、Torre di Pisa 鐘楼(1372、ピサの斜塔)。建築年は幅があり、多くの芸術家・美術家が関わっていながら、統一感のある景観を形成しています。
写真5-13-2 斜塔の基礎 写真5-13-3 洗礼堂入口
左:撮影時は南側へ5.5度傾き、地面にめり込んでいます。1990年から公開を中止し、傾斜を約3.99度に是正して、2001年から再公開。当初の計画高さ100mのところ、建築中に傾き始めたため54mで中止したそうです。構造的な理屈は置いといて、倒れそうで倒れない不思議さだからこそ、世界で最も有名な不同沈下の建築物。
右:微細な装飾が印象的な洗礼堂の入口。
写真5-13-4 写真5-13-5
さっそく斜塔に登り、大聖堂方向を撮影。右手の細長いロの字型の建物は墓所回廊。
写真5-13-6 大聖堂正面 写真5-13-7 天井
左:大聖堂正面。左右対称、上に向かってボリュームが絞られ、抜群の安定感と美。
右:華麗な格天井。教会堂建築は、一般的に高さを出すため、船底天井にします。このような平天井は少ない。
写真5-13-8 内陣正面 写真5-13-9 袖廊
左:内陣正面。右:袖廊。これだけ巨大でありながら緻密な空間を作るために注がれたエネルギーを想像すると、世界遺産たる価値を感じます。
写真5-13-10 ステンドグラス 写真5-13-11 ステンドグラス
ステンドグラスも素晴らしい。本場だけにレベルの高さは折り紙付き。
4-14 Siena シエナ
人口約5万4千人。
・フィレンツェから南へ約80km。フィレンツェから日帰り観光。
【世界遺産】シエナ歴史地区
右:都市地図 2,000リラ。
写真5-14-1 ビアン・ドヴィレ通り27付近 写真5-14-2 ガイアの泉
左:駅付近は近代都市ですが、城壁内に入ると中世の雰囲気。
右:旧市街中心部のカンポ広場にあるFonte Gaia ガイアの泉(1348)。天気に恵まれ、くつろぐ人たち。
●Palazzo Pubblico プッブリコ宮殿(市庁舎)
写真5-14-4
宮殿内にあった大聖堂の精緻な断面図。南北と東西の2面で建物が切り取られてます。
写真5-14-3 写真5-14-5
左:要塞のような宮殿(1310)に、102mのマンジャの塔(1344)が寄り添っています。
右:どこか商館か何かの建物らしく、ドラマチックな螺旋階段の断面と写真。
写真5-14-6 北方向 写真5-14-7 北東方向
左:Torre del Mangia マンジャの塔へ登りました。中央 Basilica di San Francesco サン・フランチェスコ聖堂(1326)、左 Chiesa di santa maria di provenzano プロヴェンザノの聖マリア教会(1611)。
右:北東方向。
●Piazza del Campo カンポ広場
写真5-14-8、9 カンポ広場 写真5-14-10 南西方向
左:北西方向の足元。世界一美しい広場と言われるカンポ広場。ガイアの泉が見えます。
右:Santa Maria dei Servi サンタ・マリア・デイ・セルヴィ教会(1537)。
●Duomo di Siena シエナ大聖堂
写真5-14-11
シエナ大聖堂(1370頃)。鐘楼(1313)高さ77m。レンガ造の表面に白い大理石を張るらしい。
写真5-14-12
世界一美しいファサードと言われる正面。
写真5-14-13 背面 写真5-14-14 バラ窓
左:La facciata posteriore 背面のファサード
右:Rosone con l'Ultima Cena 最後の晩餐のバラ窓
写真5-14-15 堂内
上:堂内。床も壁も柱も、モザイク模様が美しい。長さ約90m、幅約54m、ドームの高さ48m。ケルン大聖堂の2/3でも巨大だし、手の込んだ造形です。特にシマウマ模様の柱が印象的。
左:(写真5-14-16)駅へ戻る道すがら撮影。これまで、ヴェネツィア、ローマなど、名だたるイタリアの観光地を旅してきました。それはそれで楽しいですが、シエナのようなちょっとローカルな都市は、観光客が少なく、周辺の田園風景にホッとします。
40年後の今、ドイツの地方都市を好んで旅していますが、シエナで撮影した写真を改めて眺めると、既にこの時から私なりの旅のスタイルは固まっています。
5-15 Milano ミラノ
・人口約140万人
・フィレンツェから北西へ320km、鉄道で約2時間(2021年現在)
・イタリアの経済の中心。
・服飾・繊維産業が盛んで、ミラノ・コレクションに代表される「ファッションの都
左:観光地図(独語版)
右:美術案内(独語版) Museen, Pinakotheken, Kunstsammlungen(博物館、絵画館、美術品コレクション)
写真5-15-1 大聖堂広場
Piazza Duomo 大聖堂広場。正面 Duomo 大聖堂(1572)、左手 Monumento a Vittorio Emanuele II ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の騎馬像(1879)。
写真5-15-2 大聖堂 写真5-15-3 ガッレリア
左:全長158m、幅92mは、キリスト教聖堂ではバチカンのサン・ピエトロ大聖堂に次ぎ世界2位。135本の尖塔の先端には聖人が立ち、最高108mは金のマリア像とのこと。
茶色の鉄道車両を調べたところ、軽量気動車リットリナALn556(1930年代)らしい。
右:Galleria Vittorio Emanuele II ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリア(1877)。商店街アーケードのはしり。
写真5-15-4 写真5-15-5 サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会
左:路面電車23系統は、既に廃止されています。恐らく大聖堂広場付近で撮影。
右:【世界遺産】Chiesa di Santa Maria delle Grazie サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会。ミラノの最重要ポイント。
写真5-15-6 レオナルド・ダ・ヴィンチの最期の晩餐
教会敷地内の修道院食堂に「レオナルド・ダ・ヴィンチの最期の晩餐」があります。420cm×910cmの巨大な壁画。訪れた1982年は、1977年から始まった修復作業中で足場が組まれていました。観光客はちらほら。この修復作業は1999年まで20年以上かかったそうです。
5-16 Casale Monferrato カザーレ・モンフェッラート
写真5-16-1
・人口約3万4千人。
・ミラノから南西へ約70km。
・「セメントの首都」
・文化遺産が豊富
・語学学校の学友を訪ねました(右写真)。
・観光地の写真は撮影していません。
・左:観光地図。表紙の建物は左からPalazzo San Giorgio サンジョルジョ宮殿、Torre Civica シビック・タワー、Chiesa di Santo Stefano サント・ステファノ教会。
・イタリアは歴史遺産・食に恵まれ、物価も安く、「初めての欧州旅行」には打って付け。
・これで語学研修に名を借りた(?)1年間の欧州旅行を終了。正直なところホームシックは全くなくて、もう帰国しないといけないのかと後ろ髪を引かれる思い。
写真5-16-2 マニラ空港
・その後、ミラノ中央駅へ戻り、預けていたスーツケースをピックアップして、雪が舞うスイス・チューリッヒから大韓航空の南回り便で帰国へ。
左:経由地フィリピン・マニラは、30度以上あり「夏」。空港ターミナルへ一旦降ろされた際に撮影。
・そして韓国ソウル金浦空港でトランジット。到着した福岡空港は「春」で、たった一日で「春・夏・冬」を体験
5-17 Nachwort あとがき
●Haarlem ハールレムへ行ったっけ?
・オランダ旅行の資料を整理していたらハールレムの Grote of St.-Bavokerk(独:Die Grosse oder St.-Bavo-Kirche)大または聖バヴォ教会(大聖堂)のパンフ(独語版)がありました。写真は撮影していないし、40年前なので行ったかどうか覚えていませんが、現地に行かないと取得できないパンフなので、訪れたようです。
・ハールレムはアムステルダム中央駅から鉄道で西へ約20分。手軽に行ける人口16万人の都市です。
・ニューヨークのハーレム地区の名称は、この都市名に由来するらしい。
●アンネ・フランクの足跡を訪ねて
アンネ・フランクは、1944年8月4日アムステルダムの隠れ家から強制連行され、ポーランド・アウシュビッツへ移送されます。そして同年10月末、ドイツ・ベルゲン・ベルゼン強制収容所へ。翌年3月頃そこで15才の短い人生を閉じました。同収容所が英軍に解放される4月15日の僅か1~2か月前のことです。
写真5-17-1(2017年撮影)
アムステルダムの隠れ家を訪ねた36年後となる2017年、同強制収容所跡を訪ね、アンネ・フランクの墓(右写真)に手を合わせました。2017年ドイツ旅行>2-3ベルゲン・ベルゼン強制収容所跡
アンネは1929年(昭和4年)生まれ。このページを書いている2021年10月~12月時点で、もし生きていれば92才。アンネは、私が生まれる14年前に亡くなり、その長い年月を思うと、アンネの短か過ぎる生涯に心が痛みます。
●訪れてみたいところ
Merano メラーノ(独:Meran メラーン)
かつてオーストリアからイタリアへ割譲された南チロルの温泉保養地。人口約4万人のうち、約半分がドイツ語話者らしく、イタリアにいつつ、町にはドイツ語の表示があふれ、ドイツ語でも生活できそう。お勧めは、Castel Rundegg ルンデック城ホテルのスイート・マウンテンビュー。
メラーノから更に南へ約35km、Bolzano ボルツァーノ(独:Bozen ボーツェン)にはイタリア最大の強制収容所があったとのこと。
1981年ドイツ語学研修のページはその1~5までありますが、このページはその2(スイス・オーストリア編)に続いて、2021年10月~12月にかけて作成しました。
 
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