Eine Deutschlandreise 2016 ドイツ旅行 (3/4)
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Inhalt 目次
1 Sachsen ザクセン
2 Der Harz ハルツ山地

3 Am Rhein ライン河畔

4 Architektur 建築
3 Am Rhein ライ河畔
3-1 Köln ケルン
3-2 Karlsruhe カールスルーエ
3-3 Mannheim マンハイム
3-4 Flughafen Frankfurt am Main フランクフルト国際空港
3-5 Nachwort あとがき
3-1 Köln ケルン
写真3-1-1 ライン川河畔のケネディ・ウーファー
写真3-1-2 2015年春撮影
旅行9日目の夕方、ケルンのライン川河畔で外大生と別れ、一人旅に戻ります。私はホーエンツォレルン橋を渡って旧市街(大聖堂、中央駅)方向へ。橋を渡りかけると、先ほど夕食を取ったビアガーデン前の遊歩道には、晴天の日曜日の夕方とあって、多くの人がくつろいでいます。
右写真は、1年前の同じ場所。去年は工事中で人っ子ひとりいませんでした。
写真3-1-3 ケルン大聖堂 写真3-1-4 ドイツ鉄道のポスター
左:宿への帰り道、【世界遺産】ケルン大聖堂に立ち寄り。正面入って左手直ぐに、キリスト受難の15の場面(十字架の道行き)の14番目、埋葬を表した留(りゅう)があり、多くの人が祈りを捧げていました。名ばかりの仏教徒の私も、この時ばかりは場の雰囲気に圧倒されて、しばし頭を垂れました。
右:ケルン中央駅に掲げてあったポスター。映画のポスターかなと思ってよく見ると、左は二十歳までのノルトラインヴェストファーレン州内の交通機関が休暇中乗り放題となるチケット。
中央は5人グループで同じく同州の交通機関が1日乗り放題となるチケット。
右はRB25(Oberbergische Bahn)線のAggertalに架かる三つの橋の更新工事のため、一部区間がバス代行になるという案内。どれもこれも鉄道の広告とは思えないデザイン。
●アパートホテルでプチ・市民生活
写真3-1-5 リビング 写真3-1-6 寝室
2013年、2014年に続いて、今年もDomapartmentドームアパートに2泊。宿泊費が高めのケルンでは、中央駅の近くでありながら安いので、ケルンの定宿です。2年前と同じ部屋に泊まりました。10帖ほどのリビング、シングルベッド二つがある寝室。リビングのソファも含めると3人泊まれる部屋にひとり。1泊68.50ユーロ+宿泊税5%。
写真3-1-7 リビングからキッチンを見る 写真3-1-8 サニタリー
写真3-1-9
アパートホテルなので、3帖ほどのキッチンには一通りの調理器具が揃っていますが、料理が苦手な私は、冷蔵庫でビールを冷やし、電気ポットでお湯を沸かして、電子レンジで温めるくらいしかしません。
2年前の写真と比べると、便器が新しくなり、バスタブからシャワーブースにリフォームされています。
右は、近くのスーパーなどで買った翌朝の朝食。青いパッケージは私が好きな酸っぱいヨーグルト。
右側はマギーのカップ麺 5Minuten Terrine Nudeln in Rahmsauce。カップ麺は日本で殆ど食べることがありませんが、ドイツへ来ると昔食べたモノを食べたくなります。これはドイツでは一般的な味で、これを食べないと日本へ帰られない(笑い)。
●買い物とロケ地探訪
旅行10日目。今日は終日、買い物、好きなドラマのロケ地探訪などでケルンの旧市街を回ります。それであまり紹介できる画像はありません。ケルンの天気予報は薄曇り。予想最高気温17度、最低気温6度で、長崎の3月中下旬頃の気候になってきました。
写真3-1-10 旧ドイツ国有鉄道本部 写真3-1-11 レゴショップで
写真3-1-12 昼食
左:1913年に建てられた旧ドイツ国有鉄道本部ビルReichsbahndirektion Kölnは、現在Vivicoという不動産会社が所有し、外壁だけを残して事務所ビルとして造り替える工事中でした。2014ドイツ一人旅その3>3-5 ケルン参照。
2015年秋竣工の予定となっていましたが、仮囲いが残っているので竣工間近らしい。旅行記をまとめながら調べてみると、写真撮影した1ヶ月後の2016年6月に欧州航空安全機関Europäische Agentur für Flugsicherheitが、対岸の展望台があるケルン・トライアングルから引っ越して来たようです。
右:ケルンの目抜き通りを歩くと、レゴショップでいつも足が止まります。店頭ディスプレイにあった映画スターウォーズに登場するミレニアム・ファルコン。直径30cmのレコード盤くらいの大きさで134.99ユーロ(16,800円)。
昼は一旦宿へ戻り、軽い昼食・お昼寝して、また出掛けます。今度はマギーのカップ麺 5Minuten Terrine Gulasch Topf。グーラッシュ味は好み。
写真3-1-13 Eigelstein アイゲルシュタイン
ケルンの観光地や中央商店街は中央駅の南西に広がっています。私の宿は中央駅の北東側。つまり観光客とはあまり縁が無いエリア。それだけに市民生活を感じる場所です。この写真もそんな一枚。爽やかな春の陽気になってきたので、月曜日の昼下がりなのに多くの人が通りのテラス席でくつろいでいて、私もケルン市民になった気分。
この近くのEbertplatz駅から中央商店街を抜けてPoststr.駅まで地下鉄に乗ります。
●Brauhaus Reissdorf ライスドルフ・ビヤホール
写真3-1-14 写真3-1-15 夕食
中央商店街を通り過ぎて更に南へ。ロケ地となったビヤホールを探したら、住宅地の中にひっそりとありました。休憩も兼ねて早めの夕食。
Blutwurst Carpaccio ブラッドソーセージのカルパッチョ
Carpaccio von hausmacher Blutwurst mit frischen Apfelscheiben und roten Zwiebelringen an kleinem Salatbukett & geröstetem Brot
自家製ブラッドソーセージ(豚の血を混ぜた柔らかいソーセージ)のカルパッチョ。新鮮なスライスしたリンゴ、赤いオニオンリング、サラダ菜の小束添え。トースト。これで小6.9ユーロ約860円。私には十分な量。ちなみに大は9.9ユーロ。
写真3-1-16
少なくともまずい印象は残っていないけど、私にとって豚に真珠で、今となっては味をよく覚えていません。ただ2013年の旅行で食べたときはお手上げだったので、慣れてきたかな(笑い)。
それよりケルンの地ビール、ケルシュのうまさが印象的。ここはビール醸造所の直販店らしく、新鮮なケルシュが、こんなにクリアーで美味しいのかと、ぐいぐい。どこにでもありそうな大衆居酒屋の雰囲気ですが、すがすがしい気候のもと、繁華街の喧噪を離れ、閑静な住宅街のオープンテラス(右写真)で飲み食いしていると、とても幸せな気分。
空になったグラス(シュタンゲ)にコースターを乗せると、飲み終わりの合図。
写真3-1-17 市庁舎
時刻は夕方5時過ぎ。日はまだ高いのに、もうほろ酔い気分で市街地を散策しながら宿へ戻ります。
Alter Markt(旧市場)のそばに建つゴシック様式の市庁舎が夕日に照らされて美しい。市庁舎については、昨年の旅行記2015ドイツ一人旅その3>3-6ケルンに詳しく書いたので今回は割愛します。
写真3-1-18 旧市場 写真3-1-19 左写真拡大
左:同じく旧市場の中央にあるJohann von Werthの石像。17世紀、30年戦争の偉人とのこと。
右:その石像の足元で、中学生くらいの子がヘッドフォンをしてリラックス。平日の夕方、日本なら塾やら習い事やらクラブ活動で忙しい時間帯。「三つ子の魂百まで」というけど、こちらのライフスタイルは子供の時からのものですね。日本であたふた働いているのが馬鹿らしくなってきます。
写真3-1-20 土産店 写真3-1-21 木のおもちゃ
写真3-1-22 写真3-1-23
中央駅が近づくと、お土産店がありました。ウィンドウショッピングをすると、旅行3日目に立ち寄ったザイフェンで見たような木のおもちゃがたくさん展示してあり、山間の小さな集落を思い出します。
右横:宿へ帰って飲み直し。ヴェルニゲローデで飲み残した白ビールを、宿の冷蔵庫で冷やしておきました。つまみは、これを食べないと日本へ帰られないという第二弾、ポテトチップス・カレーソーセージ風味。
写真3-1-24 ケルン・トライアングル屋上展望台からの22時頃の夜景
好きな刑事ドラマで、たびたびケルンの夜景の空撮が映るので、高いところから一度見てみたいと思っていましたが、何せ日没が遅いので、足が遠のいていました。夜景の観賞スポット、ケルン・トライアングルの屋上展望台が23時までの営業らしく、21時半から宿を出発し、23時前宿へ戻って来ました。
昼間賑わっている展望台は、エレベーターでひとり入れ違いだっただけで、この夜私ひとりでした。
写真3-1-25 中央駅 写真3-1-26 ミュージカルドーム
展望台への道すがら、昼間とは全く違う街の表情に目を見張ります。
左:中央駅のカーブした天井一面がライトアップされている様子が、カーテンウォール越しに見えます。計算済みの演出がにくい。
右:ケルンの夜景でひときわ異彩を放つミュージカルドームの青い光。すべて曲線で構成されているからか発光生物みたい。
写真3-1-27 中央駅高架下の道路 写真3-1-28 思い出のスタンド
左:中央駅高架下の道路。意図されたライティングが異次元空間のようで幻想的
右:中央駅の直ぐそばにあるカレーソーセージのスタンド。実は3年前の2013年のドイツ旅行帰国前夜、このスタンドで弟と「日本へ帰りたくない。」と飲み食いしたことを思い出します。今回の旅行も、当初弟と来る予定だったので感慨深い。今日はもう十分に飲み食いしたので、写真だけ撮って宿へ帰ります。
3-2 Karlsruhe カールスルーエ
●ライン川河畔を鉄道で
写真3-2-1 朝食
旅行11日目、ケルンを出発して列車でカールスルーエへ向かいます。到着地カールスルーエの天気予報は薄曇り。予想最高気温14度、最低気温4度で、まずまずの天候。
ここまで連日長距離を走り回る行程だったので、できればケルンにもう一泊してカラダを休めたい気分ですが、欲張ってあちこち回る行程を組んだので、予定通り次へ向かいます。
左横:まず自炊の朝食。今度はマギーのカップ麺 5Minuten Terrine Broccoli Nudeltopf。これで3種類食べて満足しました。日本へ持ち帰ろうというまでの気は無く、次回来たときにまた食べればOK。
では宿を引き払い、スーツケースを引いて、ケルン中央駅へ向かいます。
写真3-2-2 ケルン中央駅 写真3-2-3 ケルン中央駅
写真3-2-4 ケルン中央駅
左:中央駅の床に貼ってあったドイツの代表的なチョコレートの広告。チョコは好きなので一度味比べをしてみたいと思いつつ、2週間程度の旅行では、食べられる量に限りがあるので、次回の旅行ではいろいろ買って帰って日本で味見しよう。ア、広告にしっかり乗せられちゃった(笑い)。
右:列車の乗車券は、事前にドイツ鉄道のサイトで、クレジットカードで買っておきます。ドイツは改札口が無いので、列車にはそのまま乗ります。そして車内検札で、買ったときのクレジットカードと、スマホの予約画面か予約画面のプリントアウトを提示します。
予約した列車は、ケルン中央駅10時53分発スイス・チューリッヒ行き(同地17時着)EC9(Euro City 国際都市間特急)。カールスルーエには13時47分着なので約3時間の列車の旅
駅のホームへ上がると、15分遅れの案内が出ていました。これくらいの遅れは日常茶飯事。それより出発ホームが変わったりするので、列車が到着するまで、右のような掲示板や駅のアナウンスに注意を向ける必要があります。
写真3-2-5 車窓から眺めるライン川
写真3-2-6 昼食
列車は、風光明媚なライン川を左手に見ながら南下します。実は私が乗った列車の2分後に、所要時間が約1時間短くカールスルーエに12時58分着。つまり私が乗った列車より49分早く着く高速新線を通る速達列車ICE(Inter City Express)があります。ただ山中やトンネルをひた走るビジネス向け。今回は車窓からの景色を楽しみながら列車の旅を満喫。
窓ガラス越しの写真なので、お見合い席の対面に座っていた初老がゴーストのように映っています。ご了承ください。
右横:この列車には食堂車もありますが、今回はケルン中央駅発の売店で買っておいたサンドイッチを昼ご飯にしました。
写真3-2-7 ローレライ 写真3-2-8 スイス鉄道の車両
写真3-2-9
左:ライン川観光のハイライト、ローレライもあっという間に通り過ぎます。この写真も撮影したデジカメが映り込んでしまいました。
右:列車は、スイス鉄道の車両なので、いたる所4カ国語表示です。上からドイツ語、フランス語、イタリア語、英語。私にはやっぱり一番上のドイツ語がしっくりくるな(笑い)
右横:車内販売のコーヒーを客席で頂きました。
写真3-2-10 カールスルーエ中央駅 写真3-2-11 カールスルーエ中央駅
左:列車は20数分遅れてカールスルーエ駅に到着。カールスルーエは初めての訪問
右:カールスルーエ中央駅前。人口30万人近い都市の玄関口にしては少し寂しい感じ。都心と離れているのかな。
●「新興都市?」カールスルーエを散策
写真3-2-12 市立公園動物園 写真3-2-13 ガーデンホール
左:宿は駅から数分。客室の窓からはZoologischer Stadtgarten市立公園動物園の豊かな緑が見えます。天候が安定しないので、傘を持ってカールスルーエ城まで散策します。
カールスルーエは、城を中心に道路が放射状に広がる計画都市なので、ココから城までほぼ一直線です。また18世紀の「新興都市」なので、城壁もありません。
右:KongresszentrumコンベンションセンターのGartenhalleガーデンホール。高い塔は、かつてここにあった発電所の煙突らしい。
写真3-2-14 バーデン州立劇場 写真3-2-15 住宅供給公社
写真3-2-16 ミックス・アイス
左:現代建築のバーデン州立劇場。Wikiによれば、1975年築の3代目とのこと。
右:州立劇場の向かいに、面白いビルがありました。1階のアーケードと塔は、ロマネスクの古風なデザインの一方、2階から最上階までは、矩形の窓が規則的に並んでいてネオ・ルネッサンス風。調べたところVolkswohnung GmbH。直訳すると「国民住宅 有限会社」ですが、公式サイト(※、独語)をざっくり読むと日本の住宅供給公社に相当するみたい。
右横:近くのカフェで休憩。真冬並の気候が過ぎて、暖かくなってきたので、やっと冷たいものを食べる気分になりました。Gemischtes Eis, Köstliches MÖVENPICK Eis Ihrer Wahl mit Sahne ミックス・アイス、美味しいモーべンピックをお好みの選択で、生クリーム添え3.90ユーロ。モーベンピックは日本では馴染みがありませんが、ドイツではメジャーです。
写真3-2-17 憲法の柱 写真3-2-18 市庁舎
左:もう少し進むとRondellplatzロンデル広場に「Verfassungssäule憲法の柱(1827年)」という、カール・バーデン第2代大公(1786~1818)に捧げられた高さ7.8mの記念碑があります。その後ろは「Markgräfliches Palais辺境伯の館(1803年)」というカール・フリードリヒ・バーデン初代大公(1728~1811)と、後妻ルイーゼとの間に生まれた子達の住まいだった建物。現在は地元のBBBank所有とのこと。
更に北へ向かうと地下鉄工事中のMarktplatzマルクト広場に出ました。新古典様式の市庁舎(1825年)があります。塔は高さ51m。公式サイトにある画像は、白とピンクの組み合わせが美しい外壁なので、現在は改装工事中でしょうか。
写真3-2-19 ピラミッド 写真3-2-20 警察署
左:同じくマルクト広場には、なんとピラミッドKarlsruhe Pyramide(1825)!この都市を建設したカール3世(1679~1738年)の墓とのこと。
右:マルクト広場に建つネオ・ルネッサンス様式風の、ホテルのようなエレガントな建物。調べたらPolizeirevier Karlsruhe-Marktplatz警察署でした。もともと1900年に建てられたBezirksamt(ざっくりいうと「県庁」)。
写真3-2-21 カール・フリードリヒ・バーデン初代大公銅像とカールスルーエ城
更に北へ向かうと、カールスルーエ城。前庭には巨大なカール・フリードリヒ・バーデン初代大公銅像。場内の州立博物館はパスして、左手へ向かい、宿への帰り道です。
写真3-2-22 連邦憲法裁判所 写真3-2-23 城庭
左:城の左手には1969年に建てられた連邦憲法裁判所Bundesverfassungsgericht。
右:更にその奥は、広大なSchlossgarten城庭。航空写真で見ると、城庭の奥には更に広大な緑Waldstadt(直訳すると森林都市)が広がっています。
写真3-2-24 植物園 写真3-2-25 芸術協会
左:連邦憲法裁判所の裏手に回ると植物園Botanischer Gartenがありました。写真は敷地内にあるTorhaus。直訳すると「門の家」ですが、機械翻訳にかけると守衛詰所と出ます。確かに門番の住まいも兼ねていたのかな。
右:市街地へ戻ると、規模は小さいもののルネッサンス風の美しい外壁の建物がありました。Badischer Kunstvereinバーデン芸術協会とあり、確かにふさわしい外観
写真3-2-26 カイザー通り
カールスルーエの目抜き通りカイザー通りKaiserstr.は、トランジットモールになっていて、長い路面電車が頻繁に往来しています。
写真3-2-27 エットリンガー通り 写真3-2-28 動物園長公舎
左:目抜き通りから中央駅に続くエットリンガー通りEttlinger Str.は、路面電車を地下に入れるために、それほど広い通りでもないのに開削工法で工事が行われていました。
右:宿に近づくと瀟洒な建物がありました。調べたところ1905年に建てられたDirektorenhaus der Zoo-Verwaltungとあるので、動物園長公舎かな。
●バーデン=ヴュルテンベルク州でバイエルン料理
写真3-2-29 夕食 写真3-2-30 夕食
カールスルーエを訪れたのは、長年の知人の娘さんが結婚されたので、お祝いに駆けつけました。
ドイツ最後の夜は、若夫婦お薦めのバイエルン郷土料理店で会食。
下:娘さんとは2011年にフライブルクでお会いして以来5年ぶり。早稲田に留学した経験をもつ彼女の堪能な日本語に甘えてしまいました。
写真3-2-32 夕食
初めてお会いする新郎もとても気さくな方で、とても楽しく会食できました。お二人の末永い「幸福」をお祈りいたします。
写真3-2-31 デザート3点盛り
左:食後のデザート3点盛り。日本ならどれか一つでしょう。こちらではこれでワンプレート(3品を選んで注文したわけじゃありません)。スイーツは別腹というけど、これだけでも結構なボリューム。
●カールスルーエの宿は一般的なビジネスホテル
写真3-2-33 外観 写真3-2-34 客室
レンタカーをケルンで返却して、旅の後半はスーツケースを持ち歩くので、立地を優先して中央駅にほど近いビジネスホテルにしました。Avisa Hotel。朝食込み85ユーロ(10,600円)。
左:窓に青いテントが付けられているところがホテルらしい。ドイツではよくある形態ですが、単独の建物ではないので、うっかりすると通り過ぎてしまいます。
右:余裕ある広さのシングルルームです。
写真3-2-35 客室 写真3-2-36 朝食
左:日本のビジネスホテルでは常識ですが、こちらでは珍しく冷蔵庫もありました。こちらでは「ミニバー」という表現をします。
右:ビュッフェ形式の朝食。料金の内訳を見ると4.8ユーロなので、値段の割にはかなり充実していました。
3-3 Mannheim マンハイム
●旅の最後は珍道中
旅行12日目、いよいよ日本へ帰る日。早朝カールスルーエを出発して列車でシュパイアー、マンハイムに立ち寄ってフランクフルト国際空港へ向かいます。出発地カールスルーエの天気予報は晴れ。予想最高気温15度、最低気温2度で、旅行日和。
写真3-3-1 普通列車 写真3-3-2 シュパイアー中央駅
左:8時8分、カールスルーエ駅でマインツ中央駅行きの普通列車に乗ります。朝の通勤時間帯ですが車内はそれほど混んでなくて、とてもローカルな雰囲気。この列車には自転車も乗せられ、写真は自転車を固定する乗客。
右:8時46分、シュパイアー中央駅に到着。乗ってきた列車を見送ります。予定では駅のコインロッカーにスーツケースを預けて、バスでシュパイアー技術博物館へ往復。その後マンハイムに立ち寄って、フランクフルト国際空港へ向かう予定。
●コインロッカーが無い!
シュパイアー中央駅は、中央駅というには小規模でコインロッカーSchließfächerが見当たりません。駅員に尋ねても無いとのこと。ドイツ鉄道のサイトで当駅(※、独語)を見るとコインロッカーが無いことが分かります。下調べしておけばよかった。まさか重いスーツケースを引きずって回りたくないので、どうするか悩んだ挙げ句、9時2分発の列車で次の目的地マンハイムへ向かいました。マンハイム中央駅着は9時26分。この駅にスーツケースを預けてシュパイアーへ戻っても時間が限られるし、ここまで弾丸ツアーだったので、最終日は天気もいいし、マンハイムでのんびりすることにしました。
後で検証すると、カールスルーエからまずマンハイムへ向かい、荷物をコインロッカーに預けて、マンハイムからシュパイアーへ往復するとよかったみたい。
●36年ぶりのマンハイム
マンハイムは人口32万人。17世紀以降計画的に作られた碁盤の目のような都市なので、古い城壁や教会などはありません。観光向きの都市ではないので、そもそも記載されていないガイドブックもあります。
今回は、1ヶ月前に次女が語学研修で滞在した都市なので、恐らく娘が見たであろう景色を見て回りました。そのため写真を多く掲載し、ごくごく個人的な内容です。
写真3-3-3 マンハイム中央駅
マンハイム中央駅は、鉄道の要衝なのでそれなりに大きな駅です。ドイツ鉄道のサイトで当駅(※、独語)で見るとフルメニュー揃っています。コインロッカーや無料の無線LANもあり、荷物を預けて市内を散策します。ロッカーに荷物を入れる準備をしていたら、ドイツ人から、ロッカーの利用料金を尋ねられた。
写真3-3-4 マンハイム中央駅 写真3-3-5 36年前のマンハイム中央駅
左:中央駅はWikiによれば、2001年に改修工事が完成したらしい。右の36年前の写真と比べると、天蓋が復活しています。駅前には路面電車が頻繁に発着。併用軌道には連節バスも乗り入れ。ドイツではよく見かける風景です。
右:36年前の同じ場所。第二次世界大戦で甚大な被害を受け、簡略化された装飾で復元されたそうです。観光するような都市ではないので、36年前は路面電車が発達した都市だということで訪れています。
写真3-3-6 中央駅コンコース 写真3-3-7 中央駅
左:中央駅の地上階のコンコース。正面がホームです。正面のワシは、ドイツ・アイスホッケーリーガの所属クラブ、アドラー・マンハイムのマーク。2015年シーズンはリーグ優勝しているので、町の誇りでしょう。マークの下には、「Eishockeystadt Mannheimアイスホッケー都市・マンハイム」とあります。
右:コンコースの両翼はガラスドームに店舗が並んでいます。
写真3-3-8 中央駅地下 写真3-3-9 中央駅前
左:地下には、ホームへの地下通路や駐車場と直結したショッピングモールもあります。飲食店、スーパー、書店などがあり、市中の商店街が閉まる日曜日でもここへ来れば生き延びられそう。
右:駅前の路上販売。路面電車も頻繁に発着して人通りも多く賑わっています。
写真3-3-10 ビィクトリア・タワー 写真3-3-11 ドイツ国首相ミュラー通り
左:中央駅から東へ歩くと、駅の裏手に高層ビルが見えました。調べてみると2001年に完成した高さ97.5m27階建のオフィスビルVictoria-Turmビィクトリア・タワー。回りに高層ビルがないせいか、実際よりも高く感じます。
右:Reichskanzler-Müller-Str.ドイツ国首相ミュラー通りに架かる人道橋を渡ります。正面は今歩いて来た道。左手の緑地の先はこれから紹介する操車場です。
左:操車場に架かる人道橋を渡ります。正面にはビィクトリア・タワー。
ずいぶんと広いなと思ったけど、この付近はまだ序の口で、調べたらハンブルクに次いでヨーロッパで二番目に大きい操車場が近くにあるようです。懐かしい車両もあるし、鉄道模型のジオラマを見ている錯覚に陥ります。
写真3-3-12 操車場
写真3-3-13 操車場
右前方に黄色いトラス橋が見えます。帰りはあの橋を渡って戻ります。
写真3-3-14 Mafinex技術センター 写真3-3-15 ジョン・ディア
左:人道橋を渡りきると正面に現代的なビル。その後ろには、古い給水塔。外壁には「MAFINEX Technologiezentrum(技術センター)」とあります。調べたところ、マンハイム市が運営するITベンチャー企業の支援施設らしい。
右:更に歩くと、ジョン・ディアの看板が。調べてみると、ここは世界最大の農業機械メーカー、ディア・アンド・カンパニー(ブランド名ジョン・ディア)のヨーロッパ拠点らしい。入口を写したこの写真だけでは分かりませんが、航空写真で見ると1km四方ほどありそうな広大なヤードがあるようです。
●ゲーテ・インスティテュート
写真3-3-16 ゲーテ・インスティテュート
次女が1ヶ月間通ったゲーテ・インスティテュートGoethe-Institutは、マンハイム専門大学Hochschule Mannheimのキャンパス内にありました。
中央駅からここまで1.9kmほど。徒歩約20~25分。
写真3-3-17 写真3-3-18 通信塔
左:校舎の横には、Hochschule der Wirtschaft für Management(経営のための経済専門大学)も。このエリア一帯が文教地区らしい。
右:校舎からは、1975年に完成した高さ217.8mのFernmeldeturm通信塔が見えます。高さ124.7mに回転式レストランと展望台があるとのこと。
●マンハイム専門大学
写真3-3-19 本校舎 写真3-3-20 メンザが入る校舎
写真3-3-21 案内版
左:ゲーテ・インスティテュートから大学の本校舎を撮影。路面電車が通る道路の反対側にあります。
右:本校舎のキャンパスへ来ました。[i]と書かれた自立案内板があります。
写真3-3-22
左横:その案内板の拡大写真。赤丸は現在地黄緑丸がゲーテ・インスティテュート。案内板の直ぐそばにMensa(学生食堂)があったので、Kaffeepause(コーヒーブレイク)。
写真3-3-23 ダイソンのハンドドライヤー 写真3-3-24 メンザ内のATM
左:無料で用足しできるところで済ませておきます。トイレの出口にはあのダイソンのハンドドライヤー。強力でした。
右:メンザ内のATM。専用ブースがあるわけでは無く自販機のような気軽さで利用できるものの、機械まるごと盗難されることを避けるためか、しっかり壁に埋め込まれています。
写真3-3-25 電停と黄色いトラス橋 写真3-3-26 コペルニクス通り電停
左:専門大学およびゲーテ・インスティテュートの前にある電停Hochschule(専門大学)。その先にある写真3-3-12で紹介した黄色いトラス橋を渡って中心部へ戻ります。
右:中心部へ戻る途中、「コペルニクス通り」という電停がありました。コペルニクスとマンハイムの接点を探してみましたが、たどり着きません。マンハイムが都市として成立するのは17世紀、一方コペルニクスは16世紀のポーランドの天文学者(1473-1543)。マンハイムは天文学ゆかりの都市らしいので、その関係かな。
●バロック様式の巨大なマンハイム宮殿
写真3-3-27 マンハイム宮殿(中央部)
マンハイム宮殿Schloss Mannheimは、Wikiによれば18世紀に建てられ、ヴェルサイユ宮殿に次いでヨーロッパで二番目に大きなバロック建築。第二次世界大戦で破壊され、巨額の寄付などによって再建。一部城内博物館があるものの、大部分はマンハイム大学として使われているようです。
写真3-3-28 マンハイム宮殿(左翼) 写真3-3-29 マンハイム宮殿(右翼)
宮殿正面の幅は440mあります。前庭があれば遠方から全体を1枚の写真に収めることができますが、この宮殿は大通りに面しているため、左右を別に撮影しました。
なおプファルツ選帝侯の宮廷だったので、手元のガイドブック・地球の歩き方には「選帝侯宮殿」と書かれています。また公式サイト(※、独語)には、Barockschloss(バロック宮殿)とあります。
写真3-3-30 マンハイム大学のメンザ 写真3-3-31 マンハイム大学のメンザ
左:宮廷庭園は、宮殿の背後や北西側にあります。その庭園の中に現代建築のMensa(学生食堂)がありました。
右:テラス席もあるらしく、コカコーラのパラソルが並んでいます。春の陽気の日に、公園のテラス席は気持ちよさそう。
●肝心なものが写っていない!
写真3-3-32 天文台の案内板 写真3-3-33 イエズス教会
左:宮廷庭園から北側にある市街地へ向かうと、案内板がありました。現場でじっくり読んでいると、私の語学力ではいくら時間があっても足りないので、とりあえず撮影して、こうやって旅行記をまとめながら画像を拡大して電子辞書片手に読みます。この案内板には1722年に建てられ、ドイツでは最も初期の天文台のことが書かれています。案内板の最下部に描かれているイラストの塔がマンハイム天文台です。1989年にカールスルーエへ天文台が移動するまで使われていて、それでAlte Sternwarte旧天文台と呼ばれています。
実物はどれかというと、画像の右側に天文台の1階が写っています。
右:私はそれと気づかず、天文台を通り過ぎて、その奥にあるJesuitenkircheイエズス教会を撮影しました。天文台は写真左側に基礎と1階部分が写っています。というわけで、肝心な天文台が写っていないというお粗末な一件でした。
●イエズス教会
写真3-3-34
そのイエズス教会の正面へ来ました。手前のSchillerplatzシラー広場に座り込んでいる二人が楽しそうに語らっています。こんな過ごし方がドイツらしくていいな。
写真3-3-35 イエズス教会の案内板 写真3-3-36 祭壇
左:教会の前に案内板がありました。Wiki.deの情報も総合すると、1760年に竣工したバロック様式のカトリック教会。第二次世界大戦で激しく損傷。数次の修復工事を経て今の姿になったらしい。
右:内部はバロック様式の特徴たる豪華さです。ただ再建なので「新築そっくりさん」みたいな印象を受けます。
写真3-3-37 シラーの銅像 写真3-3-38 イグナーツ・フレンツル
左:イエズス教会の斜め前にあるシラー広場にはフリードリヒ・フォン・シラーFriedrich von Schillerの銅像があります。シラーといえば、ベートーヴェン交響曲第9番「合唱付き」の原詩くらいしか知りませんが、シラーとマンハイムとの縁を調べていたら、「シラーはゲーテと並ぶドイツ文壇の巨匠」らしく、私が知らないだけなのかもしれませんが、日本ではゲーテほど名が売れていない印象を受けます。
右:シラー広場の近くの共同住宅の壁に「Wohnhaus von Ignaz Fränzlイグナーツ・フレンツル(1736-1811)の住まい」の案内板が貼り付けてありました。驚いたことに日本語のWiki(※)もあり、フレンツルはモーツァルトも認めるヴァイオリニストだったらしい。
自分の無知ぶりをさらすようで恥ずかしい限りですが、旅行をすると発見が次々とあって楽しい。
●プランケン・ハイデルベルク通り
写真3-3-39
目抜き通りプランケン・ハイデルベルク通りPlanken Heidelberger Str.へ来ました。正面にマンハイムのシンボルである給水塔が見えます。水曜日の昼間なのに、週末ではと思えるほど賑わっています。
通りの右か左かの違いがありますが、左写真は、36年前のほぼ同じ場所。当時から既にこの通りは、トランジットモールだと分かります。ただ日曜日の夕方なので人通りはまばら。
写真右手にあるパラーデ広場へ向かいます。
写真3-3-40 36年前
●パラーデ広場
写真3-3-41 グリュッペロのピラミッド
パラーデ広場Paradeplatzの中央には、Grupello Pyramideグリュッペロのピラミッドがあります。よく見るとなかなか手の込んだ作品。フランドルの彫刻家グリュッペロが1711年に制作しデュッセルドルフに置かれていたものを、1743年にこの地に移設したらしい。
写真3-3-42 写真3-3-43 タウンハウス
左:先ほどのトランジットモールの方へカメラを向けると、左のC&A、右のGaleria Kaufhofは、大手百貨店。
中央のTK Maxxは知らなかった。イギリスが本拠地の都市型アウトレットショップらしい。
右:カメラを左へ振るとMannheimer Stadthausマンハイム・タウンハウス。公会堂のような施設らしい。1階には大手スーパーReweが入っています。このあたりが商店街の中心らしく、ここへ来ると何でも揃いそう
水曜日の昼下がり、広場では多くの人が息抜き。こんな環境にいると、日本であくせく働くこととのギャップが大きくて虚しくなってきます。
●ケバプを食べないと、日本へ帰れない?
写真3-3-44 ケバプ店 写真3-3-45 ケバプ
写真3-3-46
左:時刻は12時半、目の前にケバプ店があったので、お昼にしました。そういえば今回の旅行で、お昼はケーキみたいなものが多かったので、ケバプを食べたのは初めて。やっぱりケバプを食べないとドイツへ来た気がしないし、これを食べないと日本へ帰れない。
右:小2.5ユーロ。小腹を満たすには丁度よい大きさ。でもこの写真何か足りないな~。
右横:そうそう、この赤い文字と絵の包装紙ですよ。
小腹を満たして、プランケン・ハイデルベルク通りを更に給水塔に向かって歩きます。
写真3-3-47 シネマコンプレックス 写真3-3-48 シュレマーマイヤー
左:途中、4月28日に封切られたばかりのシビル・ウォー/キャプテン・アメリカの看板がありました。調べたところCineplex Planken Kino。こちらのサイト(※ 独語)によれば、8スクリーンで計1,075席のシネマコンプレックスとのこと。
右:私は、食に疎くて鼻が利きませんが、このときばかりは美味しそうな総菜屋さんがあって、思わずカメラを向けました。Schlemmermeyer(美食家マイヤー)は、行列ができる人気店らしい。
公式サイト(※、独語)によれば、ベルリンやミュンヘンなどドイツ各地にあって、私が毎年行くケルンにもあるので次回は是非立ち寄ってみたい。
写真3-3-49 プランケン・ハイデルベルク通り
上:プランケン・ハイデルベルク通りを更に給水塔へ向かって歩きます。美しい並木道の先に給水塔。絵になる構図ですね。幅の広いトランジットモール、平日の昼下がり、車を気にせず、ウィンドウショッピングをしながらブラブラ歩けるなんて素敵。
左:まだ時間はあるし、このまま給水塔まで直行するのはもったいなくて、右の脇道へ入ってみました。
写真3-3-50
写真3-3-51 Cafe Binokel
脇道を入ったら最初のブロックを過ぎて直ぐ、開けた緑地に偶然にもオープンカフェCafe Binokelがありました。とても静かな落ち着いた空間で、多くの方が飲食を楽しんでいます。さっきケバプを食べたばかりですが、このまま立ち去るのが惜しくて、メニューを見たらビールもあったので休憩。旅行記をまとめながら航空写真で見ると、たまたま入った脇道がビンゴ!今日は不思議と鼻が利くな(笑い)
写真3-3-52
ケルシュ
写真3-3-53
アスパラガスのクリームスープ
写真3-3-54
白ビール
左:地ビールを差し置いて、マンハイムでケルンのビール?という感じもありますが、先日ケルシュを飲んで味をしめたので、Gaffel Kölsch vom Fass ガッフェル・ケルシュ(生) 0.2リットル2.1ユーロ
中央:ドイツの春はやっぱり白アスパラガス。Spargelcremesuppe mit Garnelen-Spießアスパラガスのクリームスープ、小エビの焼き串添え、6.7ユーロ
右:飲んべえの私が「たった」小瓶程度の量で足りるはずが無く、白の地ビールを追加注文しました。Welde Hefeweizen Hell vom Fass ヴェルデ酵母入り白ビール(生) 0.5リットル4.1ユーロ。このビールを作っているWeldebräuはPlankstadtというマンハイムから南東へ約15km、ハイデルベルクのそばにある小さな町にあるらしい。美味しかったとしか覚えていないけど、ネットには「フルーティーな風味とパンのような香ばしさ。」とあります。
写真3-3-55 写真3-3-56
穏やかな春の日差しのもと、至福の時間が流れます。ドイツで飲むビールはどうしてこんなに美味しいんだろう。日本へ帰りたくないな~。
勘定を済ませてトイレを借りたら、トイレの男女それぞれの入口に、文字情報の代わりにハンフリー・ボガートとマリリン・モンローの写真が架けてありました。これならドイツ語が分からなくても間違いようが無くていいな。
●マンハイムのランドマーク、給水塔
写真3-3-57
上:マンハイムのランドマークである給水塔Wasserturmへ来ました。1889年に市営水道の施設として完成。高さ60m、直径19m。2000年に引退したらしい。
左:ということは1981年に訪れたときは、現役施設だったんだ。
左写真の左側に写っている時計塔と同じ形状の時計が上の写真にも写っています。高温多湿で台風も来る日本だと、せいぜい15~20年の耐用年数ですが、塔の上の傘は無くなっているけど、もし同じモノなら長生きだな。
写真3-3-58 36年前
写真3-3-59 写真3-3-60 愛錠
左:給水塔のテラスへ登りました。給水塔の西側には今歩いて来たプランケン・ハイデルベルク通り。カラフルで蛇のような路面電車が行き交っています。手前の噴水の回りでは、クリスマス・マーケットが開催されるようで、「Mannheim Weihnachtsmarket」で検索すると、ロマンチックな画像がたくさんヒット。
右:給水塔の格子戸には愛錠が。橋だけかと思ったらこんな所にも。
写真3-3-61 フリードリヒ広場とアウグスタアンラーゲ
給水塔の東側にはFriedrichsplatzフリードリヒ広場。その先にはAugustaanlageアウグスタアンラーゲがプラネタリウムまで直線で1.5km続いています。航空写真を見ると、その先の高速道路も含め、ここから10kmほどほぼ直線の道があり、スケール感が長崎と全く違うので驚き。
公園の脇にある左右対称の建物は、Arkadenhäuserアーケード・ハウス。1902年に建てられた業務と住居の複合ビル。1階の道路に面した部分が軒下通路になっているので、そう呼ばれるらしい。ただデザインが腑に落ちないので、調べてみたらこのサイト(※、独語)に掲載されている画像がオリジナル・デザインらしく納得。第二次世界大戦で被災し、今の建物は1964年に現代的な要素を加味して再建。
写真3-3-62 カイザーリング
さて給水塔の南にはKaiserringカイザーリング。奥に中央駅と写真3-3-10で紹介した ビィクトリア・タワーが見えています。フランクフルト国際空港へ向かう列車に乗るため、そろそろ中央駅へ戻ります。
写真3-3-63
これは中央駅に着く直前、マイハイムの市街地を撮影した最後の写真。Schwetzinger Str.シュヴェッツィンガー通りにあるTattersall(乗馬学校)電停。正面の塔はHeilig-Geist-Kirche聖霊教会。右端にはディスカウントストアLidiの看板も見え、ドイツの日常風景。注目すべきは教会塔の右に写っている外灯。写真3-3-57給水塔の写真では「傘が無くなっている。」と書きましたが、ここはオリジナルのまま残っているのかな。
写真3-3-64 マンハイム中央駅 写真3-3-65 ダブルデッカーのTGV
左:マンハイム中央駅でコインロッカーに預けた荷物をピックアップ。
右:ホームへ着いたら、ちょうど15時21分発ダブルデッカーのTGV9583フランクフルト中央駅行きが到着。
3-4 Flughafen Frankfurt am Main フランクフルト国際空港
●フランクフルト国際空港からルフトハンザ航空で日本へ出稼ぎ?
写真3-4-1 フランクフルト国際空港長距離列車駅 写真3-4-2 フランクフルト国際空港連絡通路
左:インターネットで事前に予約、クレジットカード決済で購入しておいた15時36分発ICE106に乗り、16時6分にフランクフルト国際空港長距離列車駅に到着。
右:ガラスドームの連絡通路を通って空港ターミナルへ。
写真3-4-3 自動チェックイン 写真3-4-4 手荷物自動預かり機
帰国便は、ANAのコードシェア、ルフトハンザドイツ航空で羽田へ
左:自動チェックインは日本でもありますが、
右:手荷物も自動預かり機でセルフサービス。日本で恒例の事前のX線検査装置はありませんでした。
ところでゲートなどでルフトハンザの航空券を見せると、係員が「Gute Reise(良い旅を)」を言ってくれます。なんだかそれが「いってらっしゃい。」というニュアンスで受け取ってしまいます。恐らくドイツ人なら、これから「ドイツのいわゆるフラッグ・キャリア」に乗って、どこかへ旅に出る意識。私も「古里」で休暇を過ごし、日本へ出稼ぎ?に。1年後、又帰ってくるね。
写真3-4-5 エアバスA380-800
搭乗口へ向かっていたら私が乗る飛行機、じゃないけど世界最大の旅客機エアバスA380が目の前を通り過ぎました。機体にはJohannesburgと書いてあります。ルフトハンザA380の就航先に南アフリカの首都ヨハネスブルグもあるので、そこ行きかな。
写真3-4-6 写真3-4-7
左:機内食では、サーモンの押し寿司、カッパ巻きもあって日本路線への配慮がうかがえます。
右:到着前の食事。こちらは洋食。降りる直前までドイツを感じられて嬉しい。
写真3-4-8 写真3-4-9 羽田空港
左:座席前のディスプレイではデッドプールなどを見ました。到着前にはこの画面が出ました。独英それぞれの表現の特徴が出ていて興味深いので書き出してみます。
Vielen Dank dass Sie auf diesem Lufthansa-Flug unsere Gäste waren
Thank you for travelling with Lufthansa
ドイツ語を逐語訳すると「このルフトハンザのフライトに、あなたが私たちのお客様であったことを感謝します。」。カジュアルに表現されている英語よりも、ドイツ語は意図的に丁寧に表現されている印象です。
右:翌日の昼過ぎ。予定通り羽田空港に到着。帰国便を撮影。この後福岡に飛んで予定通り長崎に帰り着きました。
3-5 Nachwort あとがき
●ケルシュ
今回のビール紀行の締めくくりに、ケルンの地ビール、ケルシュについて書き出してみます。
Wiki.deによれば、ケルシュの3大ブランドは次の三つ。生産量はヘクトリットルで記載されているので、200ミリリットルのシュタンゲに換算した量も併記してみました。
1位 ライスドルフ 638,000ヘクトリットル(シュタンゲ3億1900万杯)
2位 ガッフェル 460,000ヘクトリットル(シュタンゲ2億3000万杯)
3位 フリュー 400,000ヘクトリットル(シュタンゲ2億杯)
写真3-5-1
1位 ライスドルフ
写真3-5-2
2位 ガッフェル
写真3-5-3
ガッフェルのビヤホール
ドイツへ行くとヴァイスビア(白ビール)を好んで飲みますが、1位のライスドルフは、直販店で飲んだからか、とても美味しかった。
2位のガッフェルはマンハイムで飲んだ時の写真。右写真は、ケルンの定宿の近くにあるガッフェルを提供するビヤホールBrauhaus Em Kölsche Boor。250年と書いてあるので歴史的な店らしく、次回はここで飲んでみたい。
写真3-5-4 3位 フリューのビヤホール 写真3-5-5 ドーム・ケルシュ
写真3-5-6 モーニングサービス
ここらの3枚は2011年に撮影。
左:3位のフリューは、グラスを写した適当な写真が無いので、大聖堂近くのFrüh am Domで飲んだ時の写真。立地がよいのでほぼ満席で、賑わっていました。
2位ガッフェルと3位フリューについて、特別美味しかったという印象は残っていません。
右:Dom Kölschドーム(大聖堂)ケルシュ。ケルン中央駅構内で飲みました。右横は同じ駅構内で撮影。午前7時から12時までビール一杯(0.21リットル)1ユーロ(約125円)と書かれたパネル。ビールのモーニングサービスとは、さすがビール天国のドイツ!
ところでこの「ドイツ・ケルンで本場のケルシュを飲んできました!」(※、日本語)によれば、ケルシュを梯子飲みした後で、ライン川河畔にあるレーベンブロイ・ケルン・レストランで飲んだピルスナーが一番美味しかったとのこと。
次回は私も、ケルンでケルシュとミュンヘンのビールを飲み比べしてみたい。
●ハイルブロンとカールスルーエのそれぞれの中心部を結ぶ
写真3-5-7 ハイルブロン 写真3-5-8 カールスルーエ
今回カールスルーエを訪れ、カールスルーエ・モデルを知りました。Wikiなどによれば、都心部の併用軌道を走る高規格の路面電車をJRに相当する鉄道線(専用軌道)に直通させること。これをトラムトレインTram-trainとも呼ぶものの、これを最初に実現させたのがカールスルーエだったことから、カールスルーエ・モデルと呼ばれるらしい。調べをすすめるとカールスルーエから約70km離れたハイルブロンまでこのトラムトレインが通じていることが分かり、のけぞりました。
左:旅行2日目に訪れたハイルブロン。ネッカー川にかかる橋Friedrich Ebert Brückeを渡る路面電車。人口12万人の都市なのに、路面電車が行き交ってるなと思って、何気なく撮った写真。このときは、この路線がカールスルーエまで通じているとは露知らず・・・。
右:こちらは、カールスルーエのトランジットモール。こうやって写真を並べると、同じデザインの路面電車です。路線図Liniennetzplan(※、pdf)を見るとS4系統が両都市をつないでいます。
左写真の橋の近くにある電停Heilbronn Rathausハイルブロン市庁舎から、右写真の近くにある電停karlsruhe Kronenplatz(Fritz-Erler-Str.)カールスルーエ・クローネン広場まで、途中ドイツ鉄道の専用軌道を経由して、乗り換え無しで約1時間半。
もの凄くローカルな例えで恐縮ですが、路面電車と言いつつ、二両編成のJR九州快速「シーサイドライナー」程度の長さ、乗客定員があります。長崎電気軌道の併用軌道、長崎大学電停で「佐々行」のシーサイドライナーに乗車。車両は赤迫を過ぎるとJR長崎本線に乗り入れ、時速100kmで佐世保へ。佐世保の中心部では一旦併用軌道に降り(佐世保には路面電車が無いので、あくまで想定)、更に松浦鉄道に乗り入れ「大学前(長崎県立大学)」で下車。つまりシーサイドライナー1本で長崎大学と長崎県立大学の間を往復できるイメージ。
●高速鉄道網拡大中
マンハイム中央駅でホームへ登ったら、ちょうど15時21分発TGV9583フランクフルト中央駅行きが到着。調べてみたらフランスの地中海に面する港湾都市マルセイユMarseille-Saint-Charlesを8時10分に出発し、フランクフルト中央駅に15時58分に到着する列車。1,024kmを7時間48分かけて走るフランスの新幹線。この距離は東京-新山口1,027kmに相当。新幹線は所要時間4時間半。
ちなみにパリ~フランクフルト間約500kmのTGV/ICEの所要時間は最速3時間38分。マンハイムからパリまで3時間。マンハイムからだとICEで5時間近くかかる首都ベルリンより近い。
26年前の新婚旅行では、パリからハイデルベルクまで夜行寝台列車に乗りました。当時からすると高速鉄道が発達して、鉄道旅行の行動範囲が広がりました。
ついでに私が毎年のように行くケルンも調べたら、パリまで3時間20分、ベルリンまで4時間20分で、こちらもパリの方が近い。パリは魅力溢れる第一級の国際観光都市であることは疑いようがありません。でも私には遠くてもカリーブルスト(カレーソーセージ)が食べられるベルリンのほうが肌に合います(笑い)
写真3-5-9 マンハイム中央駅のTGV
写真3-5-10 カレーソーセージ
2012年にベルリンで撮影
●返ってきたスマホ
・ことの始まりは旅行1日目夕、日本にいる次女からのメールでした。
「messengerでドイツ在住の日本人女性から、カールスルーエの劇場に私のスマホが落し物として預けられている、と連絡がありました。もし可能なら劇場にスマホを取りに行ってもらえないかと。」
次女は、1ヶ月前の語学研修でマンハイムに滞在中、私の知人の娘さんがいるカールスルーエを訪れ、劇場へ連れて行ってもらい、そこでスマホを紛失していました。果敢にも自分で新しいスマホをドイツで買ってしのいだそうです。
写真3-5-11 返ってきたスマホ
実は、当初カールスルーエには旅行初日に行って、知人娘さん夫婦と会うようにしていました。このメールをもらった時点は、カールスルーエにまだいるものの、翌日の予定を変更しないと、受け取りは無理だったんです。
ところが娘さん夫婦の都合が悪いとのことで、帰国前に会うことに変更していました。
旅行11日目、カールスルーエの劇場を訪ねました。守衛室の担当者は気さくな女性で、息子さんのお嫁さんが日本人とのこと。日本人が関係してなければ返ってこなかったでしょうし、連絡があと2週間遅かったら、私も帰国しているし、受け取りは無理。カールスルーエを訪れたのは、後にも先にもこの1回だけ。娘さん夫婦は、その後ボンに引っ越しました。
ところでドイツで買ったスマホは落としてガラスが割れてしまい、娘は戻ったスマホを再び使いました。
・これを遡る1年前、自宅を離れ市外の大学に通っている次女は、大学の近くでスマホを紛失していました。
数日後大学近くの警察署から、スマホが遺失物で届いていると、住民票がある長崎の我が家にお知らせが郵便で届きました。受け取りにはそのお知らせが必要。たまたま翌日、その警察署の近くを仕事で通る予定だったので、翌朝次女と警察署で待ち合わせて、スマホは戻りました。スマホは、大学の近くの中学校の先生に拾われたとのことでした。タイミング良く2度も戻り、本当に強運のスマホです。
とてもミラクルな話しなので、書き残しておきたいと思いつつ、次女にとってはいやな思い出だから控えていましたが、2日前に「事件」があり、カールスルーエの件は、もう4年以上前の話なので、時効ということで書かせてもらいました。
その事件とは、金曜日私が出社後、妻から「洗濯機の後ろに次女がスマホを落とした。」とメールがありました。
我が家の洗濯機はビルトインに近い形で置いてあるため、引き出す必要があります。ただドラム式の本体重量は75kgあり、妻と次女のふたりの力でもびくともしなかったようで、明日土曜日に長女の婿も参加してもらい引き出してみることに。帰宅して私が、洗濯機と壁のわずかな隙間に手を入れると、あっけなく取れました。よほど私は娘のスマホと相性がいいらしい。
・旅行の話しに戻り、帰国直前立ち寄り程度を予定していたマンハイム訪問は、思わぬトラブルで、次女が通った語学学校まで訪れる時間ができ、偶然の巡り合わせでありながら、物事が好転する「運」を感じます。この項2020.4.26追記。
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