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Eine Deutschlandreise 2011 ドイツ旅行 (3/4)
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Inhalt 目次
1 Rostock ロストック、フラウンホーファー研究所
2 Stralsund シュトラールズント、造船所

3 Freiburg フライブルク、環境首都

4 Würzburg ヴュルツブルク
3 Freiburg フライブルク
 30年ぶりのフライブルク。正式にはFreiburg im Breisgau(ブライス地方のフライブルク。スイスにも同名の街があることから識別するため)。今や「環境首都」として有名なので、書籍・紹介記事など多数あります。
 この地に、環境ジャーナリストの村上敦さんがお住まいで、素晴らしい情報を多数発信されています。村上さんのウェブサイト http://www.murakamiatsushi.net/(※、日本語)
 以前からお会いして話を伺いたいと思っていました(身の程知らず)。たまたま大学の恩師が学術研究で村上さんとお会いしたと聞いたので、恩師に仲立ちをお願いしました。村上さんには超多忙の中、時間を割いていただき、旧市街地をご案内いただきました。ここに深く感謝申し上げます。
3-1 Altstadt Freiburg フライブルク旧市街
3-2 Konviktstraße コンヴィクト通り
3-3 Quartier Vauban ヴォーバンの住宅団地
3-4 Straßenbahn 路面電車
3-5 Schauinsland シャウインスラント
3-6 Nachwort あとがき
3-1 Altstadt Freiburg フライブルク旧市街
フライブルク 市庁舎  ドイツ南西部、バーデン=ヴュルテンベルク州、黒い森(シュヴァルツバルト)の玄関口。フランス国境まで約17km。
 人口約22万人。年間平均気温11.3度(山形の年間平均気温11.7度)で、ドイツでは最も暖かい都市の一つ。
 複数の高等教育機関で3万人の学生が学ぶ。1457年設立の大学は市内各所に校舎があり、2万人の学生が学ぶ。まさに大学町の様相。
写真3-1-1 市庁舎
フライブルク 中心部のトランジットモール フライブルク 旧城壁の外側
写真3-1-2 中心部のトランジットモール 写真3-1-3 旧城壁の外側
左:中心部の約42万㎡はトランジットモール。人通りが増え混雑するようになったため、中央駅方向へトランジットモールを拡充計画中とのこと。
右:旧城壁の外側は乗用車が走っています。正面のマルティン門の内側が中心部でトランジットモール。
中央駅 Hauptbahnhof
フライブルク 駅前広場 フライブルク 中央駅ホーム
写真3-1-4 駅前広場 写真3-1-5 中央駅ホーム
 この写真は、フライブルク中央駅横のインターシティホテルの客室から撮影。 駅には改札口がありません。ホーム上の跨線橋は、路面電車、人、自転車専用。車は通行止め。鉄道の列車を降り、エスカレーターを登ると、路面電車が待っているという仕掛け。車はかなり遠回りしないと鉄道の線路を横断できません。
シュヴァーベン門 Schwabentor
30年前 シュヴァーベン門
写真3-1-6 30年前
シュヴァーベン門
写真3-1-7
ザルツ通 シュヴァーベン門付近
写真3-1-8
 写真3-1-3のマルティン門やこのシュヴァーベン門は中世、城壁が都市を囲っていた名残。城壁のほとんどは失われてしまいましたが、門はこのように残っています。
 左側の写真は30年前に撮影。写真手前が城壁の内側の中心部です。右の2枚は今回の旅行で撮影。実は同じアングルで撮影できていれば一目瞭然ですが、今回は出発前の余裕がなくて準備できませんでした。それでも30年前の写真に写っているめがねの看板は今もあるし、その左隣の宝石店Steiberは、吊り看板のデザインが替わったものの、平看板は同じ。
 門の内側の中心部は、1972年からトランジットモールだったらしく、30年前の写真にもほとんど車が写っていません。
カウフハウス商館 Kaufhaus
カウフハウス商館 30年前
写真3-1-9 30年前
カウフハウス商館
写真3-1-10
 1520年から30年にかけて貿易商人が集う場所として建設。その後1761年にヨハン・クリスチャン・ヴェントツィンガー(注)のアトリエ兼住まいとして後期バロック様式に改装。階段状の切り妻や赤褐色ファッサードに掲げられたハブスプルク家の支配時代4人の皇帝像など、独特の雰囲気。
 撮影時期は、右30年前、左今回の旅行で。上のシュヴァーベン門と同様に歴史的建造物が変わらないのは当然として、周りの建物も変わりなく街のたたずまいを保っています。
注:18世紀、フライブルクで活躍したロココ様式の彫刻家、画家、建築家。
フライブルク大聖堂
写真3-1-11 30年前
大聖堂 Münster
 1354年に起工、1513年に完成。ゴシック様式に分類されるも仰高性が強くないステンドグラスや堂内の重厚さからロマネスク様式も含有。
 この教会の美しさは、左のように城山(Schloßberg)からの眺めが一番。高さ116mの尖塔がひときわ映えます。数ある教会の中でもこのようなアングルで撮影できるところは多くないでしょう。
フライブルク大聖堂
写真3-1-12
フライブルク大聖堂 フライブルク大聖堂
写真3-1-13 写真3-1-14 主祭壇方向
左:薔薇窓とステンドグラス。ステンドグラスの一番下に描かれているマークは、献上したギルド(同業組合)の紋章とのこと。
3-2 Konviktstraße コンヴィクト通り 
再開発事例
コンヴィクト通り
写真3-2-1
昔ながらの情緒を残す中心市街地の再開発
 大聖堂から南東へ少し歩くと、トランジットモールの一角にカフェやブティックが並ぶコンヴィクト通りがあります。一見すると古くからの路地のようですが、なんと再開発された場所とのこと。
 スラム街だったところを、一旦市が買い上げて再販。当時の建物を活かしたものもありますが、大方は景観を保ちつつ建替え。条件は上の階を住居とすること。また隣同士は別の建設会社に頼むこと。つまり同じ顔の建物が並ぶことを嫌ったらしい。
 この左手には城壁跡の大通りがあって、大通りとコンヴィクト通りの間には約600台の駐車場を持つ中層の共同住宅が新築されています。その共同住宅のお陰で、車の騒音・排気ガスとは無縁のとても雰囲気がよい場所でした。もう少し詳しく調べて見たいと思いネット検索すると概ね次ような内容でした。
長い歴史のなかで培われた情緒あふれる手工芸職人の通りは、第二次世界大戦で瓦解とかし、1960年代までスラム街だった。
再開発は1972年に始まる。市が一部の土地を買い上げ、自己用の建物を建てる条件を付けて販売した。新築する際、通りの両面は歴史的な外観・規模を尊重することが求められた。
通りのカーブした線形、道幅は維持された。
歴史的景観を保ちつつ旧市街を再開発する成功例となった。
Konviktstraße-Reiseführer Feriburg im Breisgau(※、独語)
Badische-seiten.de/freiburg/konviktstrasse(※、独語)より。
 つまり道路を拡幅したり直線化せず、建物も低層に抑え昔ながらの横町の雰囲気を残しつつ、現代生活にも対応するよう大きな駐車場も用意した再開発の好例と言えます。
3-3 Quartier Vauban ヴォーバンの住宅団地
フランス軍駐屯地を環境に配慮した住宅団地に再開発
ヴォーバンとは18世紀に活躍したフランスの軍人。Wiki(※、日本語)
戦後、フランスが駐屯地を接収した際、この軍人にあやかってヴォーバン駐屯地と改名
冷戦終結後、ヴォーバン駐屯地はフライブルク市に払い下げ
駐屯地の跡地にヴォーバン住宅地が建設された
市中心部から3km、38ha、居住5,500人、就業600人
緑豊かな美しい街並み
車との新しいつき合い方(カーシェアリング)
雨水地下浸透による水資源保全策
省エネハウスと地域熱供給システムなど
環境視察では欠かせない事例です。詳しくはクラブヴォーバンのウェブサイト(※、日本語)をご覧下さい。
ヴォーバン住宅団地地図
写真3-3-1 ヴォーバン住宅団地地図
 地図の北東(右上)の都市中心部方面から路面電車の線路(赤の二重線)が団地内へ。線路は団地中央の大通りを突き抜けて西端(左端)まで。路面電車は終点のループでUターン。北西(左上)にはドイツ鉄道の線路があり、将来的に駅が設置されると中央駅まで1駅。
 団地の南側には小川が流れていて、緑豊かな散歩道になっています。
ヴォーバンの住宅団地 ヴォーバンの住宅団地
写真3-3-2 写真3-3-3
左:それまでの路線バスを路面電車に置き換え。 頻繁運転で写真3-1-2の中心部まで15分程度で結ばれています。
右:緑あふれる町並みとコミュニティ道路。右端の標識と道路に書かれた見慣れないマークにご注目ください。標識下の注意書きには次のように書いてあります。
交通静寂地域
徐行を守れ
道路幅全部が歩行者用である
子どもの遊びはどこでも許されている
駐車は指定された場所でのみ可能
道路利用者は、お互いへ配慮すること
ヴォーバンの住宅団地 ヴォーバンの住宅団地
写真3-3-4 写真3-3-5
左:手前のコミュニティ道路の先は、歩行者・自転車専用道路。
右:写真3-3-3のマークを拡大。
ヴォーバンの住宅団地 街路樹 ヴォーバンの住宅団地 公園
写真3-3-6 写真3-3-7 公園
駐屯地時代の街路樹がそのまま
ヴォーバンの住宅団地 小川 ヴォーバンの住宅団地 散歩道
写真3-3-8 小川 写真3-3-9 散歩道
写真3-3-1の地図南側の小川と散歩道。
左:自然のままの小川。日本だったら蛍が舞ってもおかしくないような雰囲気。自然のまま残されていてうらやましいと思う反面、ドイツの雨はしとしと降るので、豪雨の心配が少ないからでしょうか。日本だったら、集中豪雨や台風に備えて河川改修(3面コンクリート貼り)してしまうのも悲しい現実です。
右:小川沿いの散歩道。ちなみに歩行者専用道路の標識は、「成人男性+子供」が標準ですが、ドイツでは誘拐を連想するとして「成人女性+子供」です。
3-4 Straßenbahn 路面電車 
フライブルクの路面電車は4路線28km。この都市に限らずドイツは路面電車が元気です。
ザルツ通を走る路面電車 30年前
写真3-4-1 30年前
 上の写真は30年前のフライブルク。ただ町のどのあたりを撮影したか忘れてしまっていました。今回の旅行を終えて見直すと、中心部からシュヴァーベン門方向へ向かう路面電車を捕らえています。右の写真は今回撮影した写真3-1-8から右端をトリミング。電車の背後にある建物は、30年後も変わらない佇まいであることが分かります。当時から蛇のような連接電車がくねくねと狭い通りを走っていました。1番線Oberlinden電停付近で。 ザルツ通り
写真3-4-2
ザルツ通を走る路面電車
写真3-4-3 Wikipediaより

From de.wikipedia Tobias b köhler
Straßenbahn Combino 271 - Linie 1 nach Landwasser - in der Salzstraße bei der Haltestelle Oberlinden in der Freiburger Altstadt. 2003-07-31.
出展:http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/2b/Combino_Freiburg.jpg

 この写真は、Wikiより借用。まさしく写真3-4-1と同じ場所を走る最新型の路面電車・コンビーノ。次回は自分でこんな写真を撮りたいものです。
路面電車 路面電車
写真3-4-4 写真3-4-5
左:路線はこんな郊外まで。緑の中を電車は進みます。2番線Günterstalから中心部へ戻る車内で。
右:軌道の緑化とセンターポール。3番線Vauban方面行き車内から。
路面電車 路面電車架線
写真3-4-6 写真3-4-7
中心部は架線用の支柱がありません。 架線は街路に面した建物壁面に取り付けられています。
電車接近案内表示器 電車接近案内表示器
3番線 Vauban行き 1分
2番線 Günterstal行き 4分
5番線 Rieselfeld行き 5分
と表示。見えにくくて恐縮です。
ベルトルド泉電停で。
写真3-4-8
3-5 Schauinsland シャウインスラント
 フライブルクの郊外。中央駅から路面電車、バス、ロープウェイを乗り継いで1時間ほどで1,284mの山頂まで気軽に行ける、黒い森(シュヴァルツヴァルト)のハイキングコース。
ドイツで最も長いロープウェイ Schauinslandbahn
 高低差746mを長さ3,600mのロープウェイが約20分で登ります。さすがに20分も乗ると「十二分に乗った」気分です。刻々と変わるシュバルツバルトのパノラマは感動的。
 ちなみにWiki(※日本語)によれば日本で最長(世界一も)のロープウェイは苗場・田代ゴンドラ 5,481m。
シャウインスラント・ロープウェイ 30年前
写真3-5-1 30年前
 上の写真は30年前のロープウェイ。ゴンドラは更新されているようです。この写真をどこから撮ったのかすっかり忘れていました。
 右の写真は今回の旅行で。私が眺めている先に、山頂の展望台があります。たぶんあの展望台から私が乗っているゴンドラのあたりを撮影したのではと思って、今回の旅行で、展望台から撮影した写真をチェックしたら、出てきたのが下の写真。
 建物は、時の経過を感じさせぬかのように建っています。
シャウインスラント・ロープウェイ
写真3-5-2
シャウインスラント・ロープウェイ
写真3-5-3 写真3-5-1とほぼ同じ構図にトリミング
歴史
●1930年に世界で最初の大型ゴンドラ、循環式ロープウェイとして開業。車掌が乗務する23人乗り10台のゴンドラ。
●1987~88年、車掌が乗務しない11人乗り37台のゴンドラに更新。そのため写真3-5-1の30年間の写真に写っているゴンドラは23人乗りのようです。
シャウインスラント・ロープウェイ シャウインスラント・ロープウェイ
写真3-5-4 写真3-5-5
左:現行のゴンドラ。尾根には風車も。 右:山裾はフライブルク市街地
シャウインスラント・ロープウェイ シャウインスラント・ロープウェイ
写真3-5-6 写真3-5-7
左:写真3-5-3のトリミング前のオリジナル 右:山頂近くの遊歩道。自転車も多く見ました。
3-6 Nachwort あとがき
百聞は一見にしかずを実感したフライブルク訪問でした。
 フライブルクは環境首都として、日本人も多数視察に訪れるため、ネット検索すると多くの情報が日本語であります。また文献も多数あります。それでこの都市の公共交通機関の充実ぶり、環境保全への取り組みなど、日本に居ながらにして知ることができます。
 今回は、休暇旅行の合間にフライブルクの側面を見たに過ぎないのですが、それでも単なる頭の中のイメージだけではなく、実際に「体験」することの大切さを改めて感じました。
●本物のコンパクトシティ
 宿泊したホテルでは、公共交通機関の1日乗車券を毎日配布。それが不要なほど市街地はコンパクト。賑わいのある市街地散策は楽しく、トランジットモールの歩きやすさは格別でした。ただその影には、郊外型ショッピングセンターを制限するなど、強力な都市計画があります。規制も多々ある都市計画が住民のコンセンサスを得られるまで、長く深い議論があったのだろうと想像されます。
 私の生まれ故郷である佐世保市も天然のコンパクトシティ。中心商店街の賑わいは20万都市では随一と言われます。高校生の頃は「ヨンブラ(中心商店街の四か町商店街をブラブラすることから)」と言って、約1kmあるアーケード街を友人らと目的もなくブラブラするのが楽しみでした。今思えば賑わいのあるところに自然と引き寄せられていたのでしょう。
●使いやすい公共交通機関
 私が住む長崎県では、毎年「県下一斉ノーマイカーデー運動」があります。人間はラクしたいものです。一度手にしたマイカーは「便利」なので、なかなか手放せません。しかし公共交通機関が「便利」になれば、人は自然と便利なものを選択します。「ノーマイカーデー運動」と併せて、人が乗りたくなるように公共交通機関の改良改善を行えば、自然と車利用は減るでしょうし、二酸化炭素も無理なく減らせるでしょう
 長崎市の中心部は、路面電車と数珠繋ぎのバスが同じ国道を同じ方向に走っています。両者を併せれば、写真3-4-3の最新型路面電車コンビーノを満員にするだけの人が移動しています。コンビーノに一本化できれば更に二酸化炭素は減らせるでしょう。
 長崎の場合、バスと電車両方の事業者が異なるし都市計画とも関連してハード面・ソフト面一朝一夕にはいきませんが、フライブルクのような都市を多くの方に体感してもらうと、議論が進むのではないかと思いました。
シュトゥットガルト市街地
写真3-6-1 シュトゥットガルト市街地
●路面電車を日見まで延伸させよう
 1年間の語学研修を終えて大学4年生に復学した1982年4月。先生方に求められて、ドイツの報告をしました。その際長崎の路面電車を日見峠を越えて当時の長崎水族館前(今は若干場所を変えてペンギン水族館になっています)まで延伸してはどうかと、右の写真(30年前のシュトゥットガルト)を使って提案した覚えがあります。今思えば若気の至りの過激な案だったなと思います。なぜそんな奇抜な提案をしたのか。
 写真3-6-1は路面電車の車窓からみた市街地。路面電車は坂道をぐんぐん上って行き、市街地は瞬く間に眼下へ。路面電車は坂道に弱いと思っていましたが、それは単なる先入観であることがわかりました。
 写真3-6-2は電車の終点。ホームの反対側にはバスが待っています。
 長崎中心部から日見までは各方面行きの路線バスが同じ国道を走っています。この電車の性能なら日見峠なんてヘッチャラ(今はバイパスがありますが、当時はより標高の高い日見トンネルを想定しての提案)。水族館の前まで路面電車を延伸させ、そこにターミナルを作って各方面に行くバスを接続させたり、パークアンドライド用の駐車場を整備するという案です。電車に自転車も乗せることができればもっといいでしょうね。
 この歳になると曲がりなりにも世間がわかってきて、こんな現実離れした提案はできないですね(笑い)。
 なお軌道の終点は写真3-6-3のようにループになっています。つまり運転台や乗降扉はバスのように片面しかありません。
 写真3-6-4は中心部。当時、地下化の工事中でした。現在、中心部はすべて地下化が完了しているようで、Googleストリートビューで同じ場所を見ても軌道は見あたりません。
 当時、地下化して交通の輻輳を解消し、また電車の表定速度を上げる政策だったのでしょう。30年前なら当然の選択だったと思われますが、フライブルクのトランジットモールで手軽に乗り降りできる路面電車を体験してきたばかりなので、ちょっと複雑な気持ちです。
路面電車とバスの接続
写真3-6-2 路面電車とバスの接続
軌道の終点はループ
写真3-6-3 軌道の終点はループ
地下化工事中の中心部
写真3-6-4 中心部は地下化工事中でした
電車は右側の地下化が完了した軌道から地上に上がってきます。現在は左側も地下化が完了。
●自転車にやさしい社会
今回は、自転車に関してまで写真を撮る余裕がありませんでした。30年前の他都市の写真で恐縮です。
自転車用車線・自転車用信号。ミュンスターで
写真3-6-5
自転車用車線。自転車用信号もあります。30年前のミュンスターで。
歩行者・自転車専用道路 チュービンゲン
写真3-6-6
歩行者・自転車専用道路。右側の青い自転車専用標識の下の白い標識は「原付可」。30年前のチュービンゲンで。
 坂が多い地形の関係もあって、長崎や佐世保で自転車が多数走り回る状況は想像できませんが、長崎なら矢上地区、時津・長与中心部、佐世保なら相浦地区、早岐・広田方面など日常生活圏の範囲なら自転車が活かせるエリアはあります。上の写真のように自転車を走らせやすい環境があって自動車や二輪車から自転車に乗り換える人が増えれば、人にも環境にもやさしくなる事でしょう。
 またドイツでは列車の種類によりますが、普通列車を中心に自転車をそのまま乗せられ、自転車のためのスペースが用意されています。この件はドイツ鉄道サイクリング事情のウェブサイト(※、日本語)が詳しいです。
 この先、小手先の二酸化炭素削減策ではなく、根本的に考え方を変える必要があると感じます。
 ちなみに私は、大学を卒業して今の会社に就職して30年近く。木造アパートからスタートし、2回引っ越して今は一軒家に住んでいます。その時々の住まいはいずれも松山電停を中心とした半径500mの円内で会社まで約4km。つまり住まいは変わってもほぼ同じ通勤路を路面電車、バスで通いました。中型バイクで通った時期もあります。今は片道42~3分かけて徒歩通勤していますが、通勤コースはほぼ平坦なので、ドイツのように自転車が走りやすい環境があればいいなと思います。
●居心地のよさ
フライブルク・シュロスベルクのレストランで
写真3-6-7 城山からフライブルク旧市街を望む
 さてこの写真は、写真右手のフライブルク大聖堂を望む小高い丘・城山(Schloßberg)にあるレストランからの眺め。村上さんにご案内頂きました。乾燥した爽やかな春風を感じるテラスで、暮れゆく町並みを眺めながら、ワイン三昧の夕食は忘れられません。食事は、国境に近いせいかフランスの影響を受けてドイツ料理らしからぬ上品さ。シュペートブルグンダー
 無論、村上さんの環境に対して極意を極めた造詣深いお話は、興味が尽きません。それに加えて、ドイツで生活する上で習慣の違いからくる戸惑い、ドイツ人気質、言葉などなど、私も1年暮らしたことがあるだけに共感すべき事が多く、この地方特産のワイン・シュペートブルグンダー(右写真)を片手に、大いに盛り上がりました。
 あとがきは全てアルコールに関わる話でした。飲んべえのたわごとだとお許し下さい。
知人の娘さんとアイスを食べる さて最後の写真。私の相手をしてくれているのは、ロストック在住の友人・所長夫妻のお嬢さん。お嬢さんはフライブルク大学で法律を勉強中。以前長崎の我が家にも旅行で来たことがあり、旧知。勉学で忙しい中、フライブルク2泊目の夕食に付き合ってくれました。写真は、食後のアイスを店先のテラスで食べているところ。
 早稲田大学への1年間の留学からドイツへ帰国したばかりとかで、我が家に来た頃からすると、日本語が格段に上達。お嬢さんの堪能な日本語に甘えてしまい、会話は日本語で済ませてしまいました。
●参考文献
・資源リサイクル推進協議会、徹底紹介「環境首都」フライブルク、中央法規出版(株)、2002
・春日井 道彦、人と街を大切にするドイツのまちづくり、(株)ガクゲイ出版社、2000
・ドイツ連邦共和国外務省、ドイツの実情、Societäts-Verlag、2005 最新版はネットで。ドイツの実情(※)
・(財)水と緑の惑星保全機構、ドイツエコロジーガイド -環境プロジェクトガイドブック-、ドイツ観光局日本事務所、1996
・NHKテレビ、ヨーロッパ スーパー路面電車が行く ~ドイツ・フライブルク~、2002放送
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