Eine Deutschlandreise 2019 ドイツ旅行 (4/4)
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Inhalt 目次
1 Sachsen ザクセン
2 Der Harz ハルツ山地

3 Ruhrgebiet ルール地方
4 Gedenkstätte メモリアル
4 Gedenkstätte メモリアル
4-1 Gedenkstätte Bautzen II バウツェンⅡ刑務所跡
4-2 KZ-Gedenkstätte Mittelbau-Dora ミッテルバウ=ドーラ強制収容所跡
4-3 NS-Dokumentationszentrum Köln ケルン市ナチス記録センター
4-4 Ausstellung 110 110番の展示
4-5 Deutsch ドイツ語
4-6 Nachwort あとがき
4-1 Gedenkstätte Bautzen II バウツェンⅡ刑務所跡
●東ドイツ時代の刑務所跡
写真4-1-1 入場口
東ドイツ時代、バウツェンには刑務所が二つあり、一つは今も現役。もう一つはここで、役目を終え、「バウツェンⅡ」という記念館になっています。施設に駐車場は無いものの、周囲は市街地で、路上駐車可能。バウツェン駅からだと北東へ800m徒歩10分。入場無料。
入場口の右袖に「Voll der Osten. Leben in der DDR(東の全て。東ドイツを生きる)」と書かれた、企画展の案内板がありました。
写真4-1-2 企画展 写真4-1-3 案内板
左:入場してすぐ、その企画展の展示があり、Kindheit幼少期(左端)、Macht権力(左から2番目)など、テーマごとにモノクロ写真と文章で社会主義国の暮らしぶりを回顧したパネルが陳列。ベルリンの壁崩壊(1989)から30年、若い世代に歴史の記憶を継承しようという気概を感じます。
右:これは入場口にあった案内板。平面図の放射線は、写真4-1-7の3方が壁に囲まれ、小分けにされた運動場。
写真4-1-4 階段がある吹き抜け
館内は刑務所そのもの。吹き抜けの空間があり、その回りに囚人房が並んでいます。日本で廃墟になった刑務所を業務で評価したことがありますが、ここは維持管理が行き届いて稼働していてもおかしくない状況だからか、刑務所のリアリティーを感じます。それだけに無人なのがかえって不気味。
写真4-1-5 Zelle 1956-69 囚人房 写真4-1-6 便所
左:一部の囚人房は、内部が公開。案内板に、トイレの流し水は1日1回だけ、暖房もなく、本を読むこともできず、過酷な生活が書かれています。
右:この懲罰房はもっと過酷。用足しすら制限できるように、便器を囲んで格子戸が設置されています。
写真4-1-7 運動場見下ろし 写真4-1-8 運動場
左:上階から階段を降りて行くと、放射状に区切られた運動場が見えてきました。
右:ドイツではどんよりと曇った冬が長いので、ドイツ人は日光をとても渇望します。囚人らにとってこの運動場でのひとときは、辛い刑務所生活で束の間の安らぎだったことでしょう。
I
写真4-1-9 バルカスB1000 写真4-1-10 IFA W50(未確認)
左:東ドイツの商用車メーカー、バルカスのバンB1000を、シュタージの「覆面」護送仕様車
案内板によれば、例えば「Ostseefisch frisch auf den Tisch(魚屋の広告)」でカモフラージュし、80×60×150cmの無窓小部屋が5室あり、1989/90年の再統一後も窓を付けて使われたとのこと。
2016年にライプツィヒ現代史博物館Zeitgeschichtliches Forum Leipzigで見た同型車は、盗聴車に改造してありました。
右:車庫内にはトラックがもう1台。案内板が見当たらなかったので、詳細は分かりませんが、ネット検索したところ、Wiki.deのIFA W50のページ(※、独語)に、ベルリン・ホーエンシェーンハウゼン記念館Gedenkstätte Berlin-Hohenschönhausenの囚人護送車として使われたIFA W50の写真があり、これと同型車らしい。
4-2 KZ-Gedenkstätte Mittelbau-Dora ミッテルバウ=ドーラ強制収容所跡
●ナチスのV2号ミサイル地下工場
写真4-2-1 全景模型
昨年下調べで訪れました。ここの基本情報は、2018ドイツ一人旅その2>2-4 ミッテルバウ=ドーラ強制収容所跡をご覧ください。
今年は、ハルツ狭軌鉄道に乗る合間に、車を約45km、1時間走らせてここへ。地下工場跡の無料ガイドツアーに参加します。
集合場所の資料館の前に、全景模型があり、今この模型のほぼ中心にいます。左側は強制収容所。正面やや右手、山なみの下に地下工場があります。
写真4-2-2 資料館全景 写真4-2-3 猿ぐつわ
左:ガイドツアーまでは1時間ほどあるので、先に資料館を見学。
右:多くの展示の中から「猿ぐつわ」を紹介します。説明文によれば「SS(ナチの親衛隊)は、死刑判決を受けた囚人が最後の言葉を発することをいやがり、処刑前に猿ぐつわをかませた。」
写真4-2-4 参加者 写真4-2-5 新設入口
写真4-2-6 線路跡が残る
本来の入口 2018年春撮影
左:平日11時、10人ほどの参加者。前半は地上に残る遺構を回ります。足元の狭軌線路は、強制収容所へ建設資材や生活物資が運ぶためのもの。
右上:いよいよ後半で地下工場跡へ。本来のトンネル入口(右)は、1947年、戦後この地を占領したソ連によって爆破。1995年、新設された入口によってアクセス可能になったとのこと。なお地下工場跡へは、ガイドツアーでのみ入場可能です。
写真4-2-7 V2エンジンの残骸
新設された薄暗いトンネルを数百m進むと、地下工場跡へ出ます。残骸が生々しく、終戦直後へタイムスリップ
ドイツの英知を結集して開発されたV2ミサイルは、地下の劣悪な環境に閉じ込められた周辺国の捕虜やユダヤ人を死ぬまで酷使して造られました。その犠牲者の数は、V2ロケットの爆撃で亡くなった犠牲者の数を遙かに上回るらしく、その残酷な歴史がそのまま封印されています。
写真4-2-8 トンネルの模型 写真4-2-9
左:トンネルの模型。並行するAB2本(それぞれ長さ1800m、高さ30m)のトンネルの間に長さ250m、46本の連絡通路があります。全長20km、総面積250,000㎡。東京ドームの5個分以上
右:残骸の上に造られた見学通路をボランティアガイドの先導で進みます。明るい照明は最初だけ。進むにつれ必要最小限の照明しかなく、回りをしっかり観察するなら懐中電灯を持参することをお薦めします。また、内部の気温は年間を通して、8度前後とのことで、夏場は寒さ対策が必要です。
写真4-2-10 44番ホール 写真4-2-11 便所らしい
左:写真4-2-7のV2エンジンの残骸があったホールを起点に、たくさんの瓦礫の上に作られた見学用通路を10分ほど歩いて見学できる最奥部、壁に[44]と書かれたホールへ着きました
見学用通路の下は10mほど水没しています。澄んだ水面にカメラを向けしましたが、あいにく雰囲気が分かるような写真は撮れません。
右:トンネルの脇に立ち入れない横穴があり、便器らしきものが見えます。トンネル内に寝泊まりしながら強制労働に従事させられた囚人らは、粉じんや糞尿の臭いが充満した過酷な薄暗い空間で、次々に力尽きたらしい。
ガイドツアーは、1時間半の予定を30分近くオーバー。写真4-2-5のV2エンジンの残骸があったホールまで戻ってきたところで解散でした。
ところで今日は平日だからガイドツアーは11時と14時の2回だけですが、団体は別途対応しているようで、私たちの前にも見学者のグループがありました。
これまでも幾つか強制収容所跡など戦争遺構を訪れましたが、これほどリアリティーが迫る場所は初めてでした。
4-3 NS-Dokumentationszentrum Köln ケルン市ナチス記録センター
●ケルンのナチス資料館
写真4-3-1 資料館(EL-DE-Haus)外観
刑事ドラマのロケ地つながりで、ケルンは通算9回、延23泊し、ドイツで最も訪れる頻度が高い都市にもかかわらず、恥ずかしながら旧市街地のアクセスの良い場所にあるこの資料館を訪れるのは初めて。ここはナチスの秘密警察(ゲシュタポ)のケルン支局が置かれていた建物で、現在は資料館として公開されています。
写真4-3-2 入口 写真4-3-3 中庭へ続く通路
左:【右面】建物の名前「EL-DE-Haus」は、この建物を建てた実業家Leopold Dahmenレオポルド・ダーメンにちなみ、上の写真4-3-1の建物角2階にケルンと実業家の紋章が掲げられています。建物は完成を待たずにゲシュタポに徴用されたとのこと。
【左面】特別展「Der Volksgerichtshof 1934-45 Terror durch Recht 人民法廷 1934-45 法律によるテロ」が開催中で、理不尽な死刑判決を言い渡された人物が多数紹介されています。映画にもなった「Weisse Rose 白バラ」もありました。
右:中庭に続く通路の壁(右側)には「Weg zum Innenhof, wo 1944/45 mehr als 400 Häftlinge hingerichtet wurden 1944-45年、400人以上の囚人が処刑された中庭へ続く通路」と書かれています。
写真4-3-4 ケルン・ゲシュタポのその他の収容所
写真4-3-5 2013年撮影
上:私が展示で最も関心を持ったパネル「Weitere Haftstätten der Kölner Gestapo ケルン・ゲシュタポのその他の収容所」。左端の写真はケルン・メッセ。手前はライン川、右上にケルン・メッセ・ドイツ駅があり、今も変わらないロケーションです。
右:そのケルン・メッセはケルン大聖堂/中央駅を挟んでライン川の対岸にあります。高さ85mのMesseturmメッセ塔を戴くこの建物は、現在Rheinpark-Metropole Köln ラインパーク・メトロポールとなり、民間放送局RTLと保険会社などが入居。この写真を撮影した2013年に調べたら「ケルンメッセの建物として1920年代に建設。第二次世界大戦中はナチスによりユダヤ人らを強制収容所へ送るための一時収容所として使われた。」とありました。この時は、それ以上の深掘りをしませんでしたが、今回この展示パネルを読んで、ゲシュタポでの位置づけが理解できました。この大きな建物を使わなければならないほど、次々に連行したらしい。
写真4-3-6 ケルン・ゲットーからリッツマンシュタットへ苦難の道 赤丸数字は加筆
一例として1941年10月、ケルンから東へ1,000kmのLitzmannstadt リッツマンシュタット(ポーランドの都市ウッチ)へ送られた約2,000人のその後の足取りが示されています。多くは北80kmにあるKulmhof クルムホーフ(ポーランドの都市ヘウムノ)の強制収容所へ移送され、そして生き残りはごくわずか
右下に凡例があり、Ghetto ゲットー、Durchgangslagar 通過収容所、Konzentrationslager 強制収容所、KZ-Außenlager 強制収容所サブキャンプ、Vernichtungslaer 絶滅収容所など、広義の「強制収容所」が、このように細分化されることを再認識しました。
②リッツマンシュタットの南約250kmにはアウシュヴィッツ・ビルケナウもあり、ポーランドのこれら未踏査施設をいずれ訪れてみたい。
4-4 Ausstellung 110 110番の展示
●ドルトムント警察本部の広報展示 ナチス国家の警察「秩序と全滅」
写真4-4-1 広報展示「ナチス国家の警察」
写真4-4-2 高校生の社会見学
上:刑事ドラマつながりで訪れたPolizeipräsidium Dortmund ドルトムント警察本部にあるAusstellung 110 110番の広報展示。その一角にPolizei im NS-Staat "Ordnung und Vernichtung" ナチス国家の警察「秩序と全滅」がありました。
右:中高生の社会見学を想定しているのか、ありがたいことに私でも概ね理解できる説明文です。この日も高校生らいし一団が教師引率で来ていました。各時代が簡潔に1枚のパネルにまとめられて、概略次のような内容。
写真4-4-3 ナチス時代 写真4-4-4 ナチス時代の装備品
左:【右面】ナチス時代のドルトムント警察。1933年2月、プロイセン内相ゲーリングは、社会民主党の警察署長を更迭した。また、突撃隊(SA)幕僚長ヴィルヘルム・シェップマンは、1934年までドイルとムントに事務所を構え、社会民主党の役人を更迭した。
【左面】ドルトムント秘密警察(ゲシュタポ)。ゲシュタポは、シュタインヴァッヘ刑務所で政治犯、ユダヤ人、外国人強制労働者、捕虜を虐待した。政治警察は刑事警察から切り離され、ベルリンの統制下にあった。
右:ドラマで見るような装備品
写真4-4-5 ナチス時代~戦後 写真4-4-6 テロの70年代~壁崩壊
左:【右面】ナチス時代の警察は、全面的にナチス政権に荷担したにも関わらず、戦後、罪を問われた人はわずかで、多くは警察でのキャリアを継続できた。
【左面】第二次大戦後、ドイツは連合国による分割共同統治となる。ドルトムントはイギリスの占領下にあり、警察もイギリスのモデルに基づいて再建。新しい教科書が不足したため、1920年代の古い本も使用された。
右:【右面】1970年代ドイツ赤軍のテロ。ドルトムントでも警官Hans-Wilhelm Hansenハンス=ヴィルヘルム・ハンゼン(28)がドイツ赤軍から射殺された。
【左面】1989年壁崩壊後。Die Volkspolizei der DDR 東ドイツ人民警察の再建を支援するため、NRW内務省は警察官を派遣した。
感想として、ドイツ史の中のドルトムントに焦点を当てた記載が新鮮。そしてMahn- und Gedenkstätte Steinwache 追悼祈念施設シュタインヴァッヘをいずれ訪れてみたい。
【リンク】Holocaust Memorials - Übersicht gedenkstätten(※、独語)
4-5 Deutsch ドイツ語
●どこもゴミには困っているようで
写真4-5-1 ゴミ捨て禁止(一般表示) 写真4-5-2 ゴミ捨て禁止(祈祷文調)
左:ドイツ3日目、ツィッタウからクーアオルト・ラーテンへ向かう森林地帯にあった表示。これは私の語学力でも分かり、端的に言うと「ゴミを捨てないで。」
右:困ったのはこちら。「Herr, halt fern uns jene Gäste, die Wurstpapier und Speisereste ringsum verstreuen in den Wind.
Führe sie in andere Reviere, Zur Lagerstatt der Borstentiere, Die auch im Dreck nur glücklich sind!」
祈祷文調らしく、次のような意味でしょうか。「主よ、ソーセージの包み紙と食べ残しをそこら中にまき散らす客を、私達から遠ざけたまえ。
イノシシのねぐらを他の地域に導きたまえ。困難に直面している彼らに幸らんことを。

イノシシが残飯をあさりに集まって困っている状況のようです。これが有名観光地だと英語でも表記したり、絵文字(ピクトグラム)を補足したりすることでしょう。ドイツ語だけで足りるところが、ドイツの東の端へ来たことを実感します。
●外来語
写真4-5-3 吊り橋の駐車場の案内
ドイツ5日目、ハルツ山中の吊橋の駐車場の事前精算機の案内。ドイツの有料駐車場は、日本と同様で名刺サイズの紙の駐車券(下)を入庫時に受け取り、出庫時に精算します。ただここの駐車券はレシートのような感熱紙。それでわざわざ精算方法が表示されています。
写真4-5-4 感熱紙の駐車券
ドイツ語だけの表示ですが、英単語が外来語としてそのまま使われているところが日本とそっくり。訳すと、
[1]チケットバーコード部分をスキャナーに入れて、そのまま保持してください。
[2]ビーと鳴ったら、チケットを取り出す。
[3]チケットは確認されました。
[4]ディスプレイに表示された額をお支払いください。
[5]これでチケットは出庫の準備ができました。
●読めても意味が分からない。
写真4-5-5 餌を与えなで 写真4-5-6 Kfzとは
左:3-3 パッフェンドルフ城の水堀にあった警告板。次のように書かれています。
餌を与えないで
誰かがアヒル、ヌートリア(注)、魚に餌を与えると、
自然な食物摂取を阻害し、
水質汚濁により環境と自然を破壊し、
病気のまん延とネズミの繁殖を助長します。
                    城管理事務所
注:文章の意味がおおよそ理解できても「Nutrias ヌートリア」ってなんだろう。 調べたところ日本で馴染みの動物で言えばカワウソに近いらしい。南米原産で、日本にも1939年毛皮取得目的で輸入されたものの、先の大戦後需要の激減で、飼育放棄され野生繁殖が問題化しているとのこと。
右:ボンの西を南下していた時に見た標識。いちばん下のU98は、「Bedarfsumleitung(必要によって迂回)」だと昨年勉強しました。2018ドイツ旅行その4>4-5 ドイツ語参照。今年は、一番上「Kfz. Zulassung」。とりあえずナビに従って走れば、意味がわからなくても実害は無いだろうと思えますが、やはり気になります。ドイツ語は短縮して書くことが多く、KfzがKraftfahrzeugge原動機付き車両と分かれば、Kfz.Zulassung は自動車登録だと分かります。少なとも私が進む方向ではないようです。
写真4-5-7 方向表示 DR画像 写真4-5-8 DR画像
左:少しはドイツ語ができないと走りずらい。カッセルの南の給油所に出ていた方向表示。上から「出口」「駐車場」「休憩所」。今はスマホの画面に映すと翻訳してくれるアプリがあるので、ハードルはかなり下がりますが、難しい単語ではないからぱっと読めた方が行動力が上がります。一つ前のKfzのようにこれからも勉強を続けていきたい。
写真4-5-9 DR画像
右上:なぜ信号機の上に「止まれ」の標識?ケルン市内の交差点で。バスは左折しますが、一般車は直進と右折のみ。信号機の他に標識がたくさんあります。
右(一部拡大):問題は、どうして信号機があるのに「STOP 止まれ」の標識あるか。調べたところ、日本の信号機は夜間黄色点滅と赤色点滅になりますが、ドイツは完全に消灯するため
過去には、青信号が無く、赤と黄色だけの信号機に出くわしたことがあります。
写真4-5-10 マンモグラフィーの看板 写真4-5-11 ハルツ山中 DR画像
左:ケルン市内で見かけたマンモグラフィーの看板。私が説明するまでなく、カルテやガーゼなどドイツ語由来の医療用語は数多くあります。もしやこれもドイツ語由来かと調べましたが不明。ただWikiに「世界初の臨床マンモグラフィは、1927年にライプツィヒ大学病院の外科医オットー・クラインシュミットによって行われた。」とあり、当たらずとも遠からずみたい。
右:ヴェルニガー・オーデ
 ハルツ山中を車で走っていたら交通情報で「ヴェルニガー・オーデ」と聞こえてきました。Wernigerodeは本来の意味からして「ヴェルニゲ・ローデ」と日本語表示されますがWerniger・odeもありかと生きたドイツ語を感じました。
●ケルン方言基本法
ケルンで行きつけのライスドルフ・ビヤホールに今年も旅行11日目に訪れました。その客席に、左写真のような陶器のナプキン立てがあります。
1行目 Kölsche Grundgesetze (ケルン方言基本法)だけは読めますが、2行目以降は、ケルン方言なのでお手上げ。
ネット検索すると標準ドイツ語に「翻訳」してありました。それを機械翻訳の助けをかりて自分なりに訳してみました。
写真4-5-12
Kölsch ケルン方言 Hochdeutsch 標準ドイツ語 日本語(拙訳)
Et hätt noch immer jot jejange.
Et es wie et es.
Mach et jot ävver nit ze off.
Drinkste ene met?
Nix bliev wie et wor.
Wat fott es es fott.
Et kütt wie et kütt. 
Es ist bisher noch immer gut gegangen.
Es ist, wie es ist.
Mach es gut, aber nicht zu oft.
Trinkst du einen mit?
Es bleibt nichts wie es war
Was fort ist, ist fort.
Es kommt, wie es kommt.
今のところいつもうまくいっている。
それはあるがまま。
楽しく、でもほどほどに。
一杯一緒に飲もうよ。
変わらないものはない。
過ぎたことは過ぎたこと。
なるようになる。
「嗜む程度に、気持ちよく美味しく飲もう。」という意図かな。飲み助への戒めでもあるみたい。
4-6 Nachwort あとがき
●海外SIM
写真4-6-1 データ通信専用プリペイドSIM
昨年使った楽天モバイルの海外SIMがサービス終了したため、別のサービスを探し、今回Threeデータ通信専用プリペイドSIM3GB1,770円を、アマゾンで出発前に買いました。これをデュアルSIMフリースマホに、旅行前に差しておきます。フランクフルト空港に着陸して、SIMを切り替えたらあっけなく繋がりました。このSIMはデータ専用なので、別途IP電話アプリSMARTalkを使いました。行き先々の宿にはWi-fiが完備されているし、車にはナビもあります。パケの使い方は人それぞれですが、私の場合は通話でパケを使っても、2週間の旅なら3GBで充分足りました。
●表示される広告が違う
写真4-6-2 写真4-6-3 写真4-6-4 パソコン画面
左:それで、スマホに表示される広告が進化したので驚き。「ドイツ駐在の皆様、このコツを読んで節約しましょう。」
右の独文Diese günstige Drohne ist die erstaunlichste Erfindung in.(このお手頃なドローンは、最も驚くべき発明品です)を読むと、ドローンは、ドイツ語でもドローンだと分かります。
中央:ドイツ×U-CAN 日本の通信教育をドイツで受講できます。
右:持参したノートパソコンで長崎新聞のサイトを見たら「日本の番組を海外で見よう」と広告が出ました。パソコンは位置情報を持っていないものの、スマホと同じブラウザChromeを使っているため表示されたと思われます。日本では見ない広告が表示されるので新鮮でした。
●2週間のドイツ旅行の荷物の総重量は出国時8.5kg
写真4-6-5 リュックサックとワンショルダー
今回は、機動力を上げたくて、機内持ち込み制限の10kg以下で納まるように工夫しました。旅行バック(2.1kg)を軽量のスクエアタイプ・リュックサック(760g)に、ショルダーバッグ(本体640g)をワンショルダー(360g)に変えました。もともと着替えは2泊3日分ですが、綿のパーカーを、より軽いウールのセーターに替えるなど、衣料品も軽量化を徹底。旅行ガイド「地球の歩き方」は、1冊自炊(PDF化)して、必要ページ分だけ紙で持って行きました。
出国時の荷物の総重量は8.5kg。機内持ち込み荷物として持ち歩き、電子辞書や、旅先の情報を集めるため、ノートPCも入っているため、それなりに重く、空港内の移動などは少々辛いですが、逆に全ての荷物が手元にある安心感があります。帰国時は、お土産などで9.5kgになりました。
来春は更に軽量化して、リュックサックをNorth Faceの415g、ショルダーをモンペルの40gに変え、ノートパソコンも買い替えするなど、出国時は約5kg+お土産1kg=6kg、帰国時も同じ重量に収まるよう準備しましたが、コロナで中止。
●ノイズキャンセリングの効果は絶大
写真4-6-6 ノイズキャンセリングヘッドホン
買ったばかりのSonyワイヤレス・ノイズキャンセリング・ヘッドホンWH-1000XM3。荷物は思いっきり減らしたのに、ケース込み430gあり、持って行くか悩みました。結果は、持参して正解。10時間以上のフライトなので、これがあるとぐっすり眠られます。逆にヘッドフォンを外すと、飛行機ってこんなに、騒々しかったのかと驚きました。オーバーヘッドタイプなので、それなりに圧迫感があり、長時間の装着は疲れるかもと心配をしましたが、それ以上に得られるノイズキャンセリングが絶大。
ANAは、プレミアムエコノミークラス以上なら、機内サービスで同類のヘッドホンが提供されますが、エコノミークラスは持参するしかないですね。
●国内旅行並み
ドイツ初日、レンタカーのエアコンが壊れたり、道を間違えたりとハプニング続きでしたが、翌日からは計画通り。
ドイツ5日目は60歳の誕生日。思い入れの場所・都市を巡り、ドイツの大衆料理を飲み食いして大満足な1日。
ドイツ6日目、予定していたSL牽引列車に加えて、ナチスのミサイル地下工場跡の見学やハルツ山地のドライブなど、3日分を1日で楽しんだ濃密な日。
・ドイツ最終日、ヴッパータールの懸垂式モノレールには乗れなかったけど、中央駅前広場の完成形を見ることができたので差し引きゼロ。
・宿に対する審美眼も上がって、旅行出発前にbooking.comで予約した全行程の宿は、ハズレ無し。特にドイツ8日目の古城ホテル・シュネレンベルク城は、小さなテーマパークのようで予想以上。
写真4-6-7 Netto-Marken
・旅先で一期一会のドイツ語での交流。
・レンタカーで自由に動き回れて、好きなものを飲み食いし、全国チェーン店の看板を見かけたら、そこに何が売っているか分かるので、フラッと立ち寄っても買物は不自由なし。

9年連続でドイツを旅して、ハードルは国内旅行並みに下がりながら、国内旅行では絶対に味わえない感動が年ごとに膨らみます。
つくづく、細々とではありますが長年語学を続けてきた喜びがあります。

左:Netto Marken-Discountは、約4,000店舗を持つドイツ第3位のディスカウントストア
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