Eine Deutschlandreise 2017 ドイツ旅行 (2/4)
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Inhalt 目次
1 Bayern-Thüringen バイエルン~チューリンゲン
2 Der Harz ハルツ山地
3 Eifel アイフェル
4 Ruhrgebiet ルール地方
2 Der Harz ハルツ山地
2-1 Quedlinburg クヴェトリンブルク
2-2 Harzer Schmalspurbahnen ハルツ狭軌鉄道
2-3 Gedenkstätte Bergen-Belsen ベルゲン・ベルゼン強制収容所跡
2-4 Stift Fischbeck フィッシュベック修道院教会
2-5 Hameln ハーメルン
2-6 Hotel Bellevue ホテル・ベルビュー
2-7 Nachwort あとがき
2-1 Quedlinburg クヴェトリンブルク
●夕食を求めて【世界遺産】の旧市街地へ
写真2-1-1 旧市街地と聖ニコライ教会
今回、次で紹介するハルツ狭軌鉄道に乗るためだけにクヴェトリンブルクへ来たので駅付近に宿泊。宿にチェックインし、車を置いて徒歩で旧市街地へ。観光は2015年にしたので、今回は夕食だけ。時刻は19時過ぎ。美味しい郷土料理を探し求めて・・・、と足で稼ぐグルメじゃないので、2年前にも訪れたお気軽な大衆食堂へ直行。宿から1.6km、ボチボチ歩いて20分ほどかかるものの、世界遺産の歴史的な雰囲気にあふれる町並みを楽しみながら町歩きして向かいます。
写真2-1-2 売り物件 写真2-1-3 床が斜め?
左:Zu Verkaufen売り物件の案内が出ていました。外壁の痛み具合からすると、住むためには、恐らく電気給排水設備も更新が必要でしょうから、新築に近い費用がかかりそう
右:この建物は床が傾斜しているのかな。中を覗いてみたい。
写真2-1-4 大衆食堂 写真2-1-5 夕食
左:大衆食堂Wispel Pubに到着。
右:Schnitzel mit Mischgemüse und Kroketten カツレツ、ミックスサラダ、コロッケの盛り合わせ7.7ユーロ。2年前に食べたものと比べたらミックスサラダか、キノコかだけの違いだけ。ほぼ同じもので満足するのでグルメ旅行記は書けません(笑い)。値段は6.4ユーロから1.3ユーロも上がっていました。
写真2-1-6 生ビール 写真2-1-7 瓶ビール
左:Hasseröder Premium Pils vom Fass ハッセレーダー・プレミアム・ピルス生0.5リットル3.4ユーロ。ヴェルニゲローデのハッセローデにある醸造所。旧東ドイツエリアではもっとも売れているビールだそうで、可も無く不可も無くわりと普通のピルスナー。
右:2杯目はフランチスカーナー白ビール0.5リットル3.6ユーロ。こちらは瓶ビールでしたが、私の定番を飲めて満足。チップ込み16ユーロの夕食でした。宿へ戻ります。
写真2-1-8 ハインリヒ王の泉 写真2-1-9 愛の南京錠
左:途中、現代的な泉がありました。Wiki.de(※、独語)他によれば、この地在住の金属デザイナーJochen Muellerヨッヘン・ミュラー作「Der König-Heinrich-Brunnen ハインリヒ王の泉」。東フランク王ハインリヒ1世の即位式(919)をコミカルに描写
右:自然溢れるBodeボーデ川に架かる橋にも「愛の南京錠」が付いていて驚き
写真2-1-10 東ドイツ・サプライズバッグ 写真2-1-11 これで売りビル?
左:商店のショーウィンドウにあった「DDR Wundertüte 東ドイツ・サプライズバッグ17.95ユーロ」。これの面白さを一言で表わしにくいのですが、オスタルギー(東ドイツへの郷愁)が詰まっていそう。ネットにはネタバレ?と思える開封する動画(※、独語)が。同じものが入っているかどうか分かりませんが、この動画で充分楽しみました。
右:宿の近くにあった窓ガラスが割れ、老朽化が進んでいる7階建ての売りビル。これが日本なら、「台風や暴風雨の雨が室内に降り込み、使えないと判断して放置し、解体を待つだけ。」と思ってしまいます。周囲は寂れた感じで、行く末を憂慮します。
●ホテル・バレネウム
今回、駅付近に立地し、無料駐車場があり、居心地がよさそうな三つ星ホテルに宿泊。旧市街地から距離があり、観光には不向きです。
写真2-1-12 ホテル外観(2日後の朝撮影)
宿に帰着。ホテルの名前になっている「Balneolum バレネウム」はラテン語で「小さな浴室」を意味するらしい。
写真2-1-13 宿泊階の平面図 写真2-1-14 客室の窓から
左:宿泊した2階平面図。左側がホテルで、右側はInternat学生寮と書いてあります。
右:客室の窓からギムナジウム高等学校の校舎と校庭が見えるので、ここの寮かな。
写真2-1-15 客室 写真2-1-16 サニタリー
左:客室は16㎡で、ツインとしてはミニマムな広さですが、一人だと充分。ここに2泊。一泊朝食込み65ユーロ(泊まり55.5ユーロ、朝食9.5ユーロ)。
右:サニタリーもコンパクトですが清潔感があります。
写真2-1-17 サニタリー 写真2-1-18 朝食
右:ビュッフェ形式の朝食。広い朝食会場に、お客さんは数えるほど。ゆったりとした雰囲気でお昼の分までしっかり食べました。
2-2 Harzer Schmalspurbahnen ハルツ狭軌鉄道
●蒸気機関車が牽く列車に1日乗る
旅行4日目は、宿に車を置いたまま、クヴェトリンブルクからブロッケン山頂まで、ローカル私鉄「ハルツ狭軌鉄道」の蒸気機関車が牽く列車(蒸気牽引列車)で往復します。クヴェトリンブルクの天気予報は晴れ、予想最高気温11度、最低気温3度、到着地ブロッケン山の天気予報は曇り、予想最高気温0度、最低気温-2度で、例年の事ながら防寒を抜かりなく準備して出掛けます。
ハルツ狭軌鉄道の乗車は4年連続4回目だから、ただでさえ冗長な旅行記がますます事細かです。鉄道によほど興味がなければ、次の2-3 ベルゲン・ベルゼン強制収容所跡へお進みください。ブロッケン山の一般的な観光案内は、2014ドイツ一人旅その2>2-4ハルツ狭軌鉄道(動画付き)をご覧ください。
写真2-2-1 クヴェトリンブルク駅 写真2-2-2 HEXの連接気動車
クヴェトリンブルク駅で往復乗車券を買ってホームへ向かうと、ドイツ鉄道の標準軌を走るローカル鉄道HEX(HarzElbeExpress)の青い連接気動車が到着。ホーム対面の蒸気牽引列車に乗り換える客も。
図2-2-3 路線図 Streckennetz HSB (C)HSB
過去3回は、路線図上オレンジ枠のヴェルニゲローデWernigerode又はドライ・アンネン・ホーネDrei Annen Hohneから青枠のブロッケン山頂Brockenまで、ヴェルニゲローデからだと片道34km、往復68km、約4時間半の旅でした。
このブロッケン山頂行き乗車券は、面白いことに出発駅がどこであろうと、往復41ユーロです。つまりブロッケン山頂まで1駅のシールケSchierke14kmでも同じ。だったら、もっとも遠い駅から乗ろうと思い、調べたところ今日乗るクヴェトリンブルクからアイスフェルダー・タールミューレ(以下「アイスフェルダーT.」と省略)Eisfelder Talmüheで1回乗り換えて、1日1往復だけ日帰りが可能なダイヤが組まれていることが分かりました。しかも全行程蒸気牽引列車で。出発は8時30分、帰着は19時28分で、片道101km、往復202km、11時間の旅。
一人旅だからできることであって、誰かと一緒なら、同じ時刻に出発するとして、クヴェトリンブルクからドライ・アンネン・ホーネまで車で行き(約40km、40分)。そこからブロッケン山頂までこの鉄道のハイライト区間のみ往復して、また車で戻るコースにします。これだと13時過ぎには帰り着くので、6時間以上も余分に乗ることになります。自分では「鉄道ファン」の意識は無く、幼い頃から乗り物好きだったので「三つ子の魂百まで」。今回の旅でも、沿道でカメラを構えている「撮り鉄」ファンを多く見ましたが、私の場合は、そんな時間があれば乗っていたいので「乗り鉄」かな。
図2-2-4 路線縦断図
今日往復する路線の縦断図を作成しました。左から右へ向かい、片道101kmでおよそ1,000m登ります。右側青線ハイライト区間のブロッケン線の距離19km、平均30パーミルはご覧の通り連続した上り勾配ですが、左側緑線のゼルケタール線にも、距離は短いもののラムベルクRamberg前後に40パーミルの峠があります。また帰りのアイスフェルダーT.からビルケンモールに向かって平均30パーミルの上り坂があり、このゼルケタール線も楽しそう。一方ハルツ横断線は、尾根に沿って走る高原路線の様相です。
●[ゼルケタール線]クヴェトリンブルク8:30~アイスフェルダーT.10:50
写真2-2-5 クヴェトリンブルク駅 写真2-2-6 クヴェトリンブルク駅
左:機関庫があるゲルンローデGernrodeから、後進で列車が入線。この駅に到着する一番列車ですが、乗客は数えるほどで回送列車みたい。
右:機関車は、機回し線に入って先頭へ。アイスフェルダーT.行きとして仕業に着きます。昨日までの冬ダイヤは気動車。当然蒸気牽引の夏ダイヤを目指して来ました。
写真2-2-7 クヴェトリンブルク駅 写真2-2-8 ゼルケタール線
左:客車3両に乗客少なめでも、座席におとなしく座るなんて無理。先頭客車のオープンデッキに立つと、機関車が目の前。ちなみにヴェルニゲローデ発ブロッケン山頂行きの列車は、機関車のすぐ後ろが緩急車なので、この位置には立てません。
右:出発して2.5kmは、ドイツ鉄道線と平行。HEXの運転手の粋な計らいで、HEXの列車と併走しました。前方にはこれから向かうハルツの山並が見えます。
写真2-2-9 バート・ズーデローデ駅 写真2-2-10 ハルツ鉄道資料館
左:一つ目の駅QuarmbeckクアームベックはBedarfshalt-Zug hält nur auf Verlangenとあり、乗降客がある場合のみ停車(リクエスト・ストップ)で通過。最初の停車駅Bad Suderodeバート・ズーデローデへ。
右:次の停車駅Gernrodeゲルンローデの構内には、小さなハルツ鉄道資料館Anhaltische Harzbahn(※、独語)があります。夏期の土曜日のみの営業。
写真2-2-11 ゲルンローデ駅 写真2-2-12 ゼルケタール線
左:二つ目の停車駅ゲルンローデ。クヴェトリンブルクからここまで、かつてはドイツ鉄道の線路でしたが、廃止されたため、ハルツ狭軌鉄道が乗り入れられるよう1,435mm標準軌を1,000mm狭軌に改修したといういわく付き。軌道幅は日本の在来線1,067mmとほぼ同じですが、車両の大きさは日本の2/3ほど。
右:ゲルンローデを出発すると、いよいよ山岳路線。ドラフト音に力が入ります。
写真2-2-13 メクデシュプルング駅 写真2-2-14 工場の廃墟
左:リクエスト・ストップの3駅を通過し峠を越え、三つ目の停車駅Mägdesprungメクデシュプルングへ。
右:この駅を出発してすぐ、工場の廃墟が目に止まりました。手前はゼルケ川。列車はこの川に沿って右に左に進路を変えながら進みます。
写真2-2-15 アレクシスバート駅で給水中の蒸気機関車
リクエストストップの1駅を通過し、列車は四つ目の停車駅Alexisbadアレクシスバートで7分停車して給水。蒸気機関車は「石炭」で走りますが、それ以上に頻繁に水を補給する必要があるんですね。
ここからHarzgerodeハルツゲローデまで3kmの盲腸線に6往復が設定されていますが、乗車した列車は盲腸線には入らず、先へ向かいます。
写真2-2-16 アレクシスバート
右の駅舎よりも左の宿泊施設が気になります。「Badバート」という地名からして保養地だろうと調べたところ「温泉地」ではなくて、ここで湧き出る水に治癒効果があるらしい。駅前のこの宿は、Vitalhotel Alexisbad公式サイト(※、独語)を見ると、山岳のロッジ風で味があります。一度泊まって付近を散策してみたい。
写真2-2-17 ジルバーヒュッテ駅 写真2-2-18 シュトラースベルク駅
写真2-2-19 1980年路線図
左:五つ目の停車駅はSilberhütteジルバーヒュッテという小さな駅。直訳すると「銀の山小屋」。昔は銀鉱山があったらしい。
右上:リクエストストップの1駅を通過し、列車は六つ目の停車駅Straßberg(Harz)シュトラースベルクへ。人口約800人の集落。
右:1980年の時刻表に添付されていた路線図から抜粋。ここシュトラースベルクからこの先のシュティーゲまで路線がありません。第二次世界大戦の戦争賠償として、ソ連軍から施設を持ち去られて、再建されたのは1984年。
同じ頃日本では国鉄の分割民営化、赤字ローカル線のバス転換、廃止などが議論されていた頃なので、よく復活したものです。
写真2-2-20 ギュンタースベルゲ駅 写真2-2-21 ギュンタースベルゲの町並み
左:七つ目の停車駅Güntersbergeギュンタースベルゲ。人口約900人の駅。
右:発車してすぐ、途中下車して散策してみたいような佇まいの町並みが見えます。
●ループ線があるシュティーゲ
写真2-2-22 シュティーゲ駅1番線 写真2-2-23 ループ線
左:リクエストストップの2駅を通過し、列車は八つ目の停車駅Stiegeシュティーゲ1番線に到着。前方に駅舎が見えています。このまま直進すると盲腸線でHasselfeldeハッセルフェルデへ向かいますが、この列車が向かうアイスフェルダーT.方向の線路はスイッチバックになっています。通常なら機関車を列車の前後で付け替えるところ、この先にループ線があり、そこで列車全体が180度方向転換します。路面電車では見たことがありますが、鉄道のループ線は初めて。
右:列車は出発するとループ線を反時計回り。ループの終点に駅舎が見えています。
写真2-2-24 シュティーゲ駅2番線 写真2-2-25 気動車
左:同じ場所へ戻りました。2番線に転線しています。列車は、時刻表によれば、すぐに出発するダイヤだと読めますが、数分停車。
右:最初に列車が到着した1番線には、ハッセルフェルデ発ハルツゲローデ行の気動車が入線。
ところでこの地方には「rodeローデ」が付く地名が多くあります。調べたところ「○○の人々の開墾地」という意味で、1,000年ほど前に開墾された土地らしい。ちなみに動詞「roden(ローデン)開墾する」もあります。
●乗継駅アイスフェルダーT.
写真2-2-26 ビルケンモール駅 写真2-2-27 アイスフェルダーT.駅
左:次のリクエスト・ストップのBirkenmoor ビルケンモールに停車。航空写真で見ると、広大な林の中にポツンと、バス停のような小さな駅舎があります。写真右端の男性は車掌さんです。ここでは車掌業務だけですが、交換駅だとポイントを切り替えたり、機関車の連結・解結を手伝ったり、忙しそうでした。
右:この列車の終点アイスフェルダーT.に到着。舌を巻きそうな駅名を逐語訳すると「氷原の谷の水車小屋」で、駅舎はうっそうとした森林の中の谷にあり、3方向からの路線の乗換駅で登山口。
ここでNordhausen Nordノルトハウゼン北発ブロッケン山頂行き蒸気牽引列車に乗り換えます。
写真2-2-28 気動車 写真2-2-29 折返し列車
左:構内にはノルトハウゼン北行き気動車が止まっています。
右:乗ってきた列車は、機関車を前後に付替え、折返し列車として後進でクヴェトリンブルク駅へ戻ります。
左から二人目の青いパーカーの中年男性は、始発のクヴェトリンブルク駅から一緒で、停車毎に写真撮影。この編成を追っているらしく、この列車で戻りました。右端の、鉄道ファンらしい青年二人も始発から一緒。作業を並んで静かに見守っている様子が印象的でした。
写真2-2-30 自転車積載車両 写真2-2-31 V字型鋼板枕木
左:無蓋車はFahrradwagen自転車積載車両。「Mitfahrt verboten!同乗禁止」と書いてあります。
ヴェルニゲローデからこの駅まで1日1往復、1ユーロ追加料金を払うとトロッコ列車の気分を味わうことができる無蓋客車offener Aussichtswagen(解放展望車両)が連結されているので、いずれ乗ってみたい。
右:駅構内には、V字型鋼板枕木があります。この枕木の目的を次回は尋ねてみたいけど、回答のドイツ語が理解できるかどうか。
●[ハルツ横断線]アイスフェルダーT.11:08~ドライ・アンネン・ホーネ12:16
写真2-2-32 ブロッケン山頂行き列車 写真2-2-33 ブロッケン山頂行き列車
左:ノルトハウゼン北発ブロッケン山頂行き蒸気牽引列車が入線。静かだった構内は、いつの間にか人が増えました。この列車に乗り換え、ハルツ横断線Harzquerbahnドライ・アンネン・ホーネへ向かいます。
右:先頭客車に乗り込むと、以前ビュッフェとして営業していたテーブル付き車両。
写真2-2-34 ゾフィーエンホーフ駅 写真2-2-35 ベンネッケンシュタイン駅
左:リクエスト・ストップの1駅を通過し、次のリクエスト・ストップのSophienhofゾフィーエンホーフで停車。林の中の駅舎から、同地名の集落(人口50人)まで600mあるとのこと。
右:二つ目の停車駅は、Benneckensteinベンネッケンシュタイン。人口2,000人なので、駅もそれなりの規模。
写真2-2-36 ゾルゲ駅 写真2-2-37 ハルツ横断線
左:三つ目の停車駅Sorgeゾルゲの可愛い駅舎。壁には「Grenzenmuseum国境博物館」と書いてあり、上で紹介した「写真2-2-19 1980年路線図」を見ると、この付近で当時の東西ドイツ国境が迫っています。
右:先頭客車のオープンデッキに立つと、後進する機関車に手が届きそう。
写真2-2-38 エーレント駅 写真2-2-39 エーレント駅付近
左:四つ目の停車駅Elendエーレントは、人口400人の集落の中心にあります。
右:列車からは、Ferienhaus(休暇住宅)が見えました。他にもホテルやペンションが多くあり、高原リゾートらしい。
写真2-2-40 ドライ・アンネン・ホーネ駅 写真2-2-41 昼食ブラートブルスト
写真2-2-42 メニュー
左:五つ目の停車駅ドライ・アンネン・ホーネに到着。ここから先は、4年連続4回目。
右上:機関車の付け替えや、給水で約30分停車するので、駅構内のインビスで軽い昼食。このスタンドで提供される飲み物はコーヒーからビールまで多種ありますが、食べ物は右の三種類だけ。絵付きで分かりやすい。
1.ブラートブルスト 私が食べている焼ソーセージ
2.ボックブルスト ホットドッグ
3.フリカデレ ハンバーガー
写真2-2-43 ブロッケン山頂行 写真2-2-44 アイスフェルダーT.行(左列車)
左:進行方法が変わるため、機関車を前後で付け替え。
右:そこへヴェルニゲローデ発アイスフェルダーT.行が到着(左列車)。この列車の最後尾に無蓋客車が連結されているはずですが写真では確認できません。
写真2-2-45 無蓋客車(2014年春撮影) 写真2-2-46 ヴェルニゲローデ行
左:無蓋客車の写真を撮り損ねたので、2014年春撮影写真を掲載。
右:ブロッケン山頂から、ヴェルニゲローデ行き列車が降りてきました。この時点で駅の構内は蒸気牽引列車が3編成停車という、夢のような共演。
●[ブロッケン線]ドライ・アンネン・ホーネ12:45~ブロッケン山頂13:44
写真2-2-47 ブロッケン線 写真2-2-48 ブロッケン線
列車は、ブロッケン線Brockenbahnで今日の目的地ブロッケン山頂へ。連続した上り坂を単機の蒸気機関車がドラフト音を響かせながら、8両の客車を従えて、フルマラソン選手並の速度であえぎながら力走します。中間駅シールケSchierkeは、帰路で紹介します。
左:登山道と平行して走る区間では、多くの登山者を見ました。
右:昨年ほどではないにしろ、沿線には雪が残っています。
写真2-2-49 ブロッケン山頂駅 写真2-2-50 ブロッケン山頂駅
ブロッケン山頂に到着。5時間14分の旅でした。ブロッケン山は霧が多いと言われていますが、ラッキーなことに4年連続で今日も視界が広がっています。駅に掲げてあった温度計は3度。
復路は往路と同じコース。帰りの列車まで1時間7分あり、山頂の散策は過去3年連続で行ったので、すぐに下山列車で折り返し、シールケで帰りの列車を待つことにしました。
●帰路[ブロッケン線]ブロッケン山頂13:59~シールケ14:38
写真2-2-51 ゲーテヴェーク信号所 写真2-2-52 シールケ駅
左:下山列車はGoetheweg Betriebsbahnhofゲーテヴェーク信号所で行き違い列車を待避します。全力疾走する山頂行き列車は、迫力満点
右:シールケに到着。左は降車した下山列車ドライ・アンネン・ホーネ行き。右はブロッケン山頂行き。
上で紹介した写真2-2-19 1980年路線図では、青線を引いたこの駅が終点で、ブロッケン山頂へは閉ざされています。冷戦時代、山頂には東側のレーダー基地などがあり、一般の立ち入りは厳しく制限されていたとか。
写真2-2-53 シールケ駅 写真2-2-54 蒸気機関車
左:ロッジ風のシールケ駅舎。
右:アイスフェルダーTで乗車し、ブロッケン山頂~シールケで降車するまで牽引したこの機関車ともここでお別れ。ナンバープレートの最初の[99]は、狭軌用機関車を表し、その次が製造番号とのこと。
写真2-2-55 シールケ駅の売店 写真2-2-56 シールケ駅のレストラン
左:駅舎内の売店には、実物大の機関車の運転席の模型がありました。
右:駅舎内のカフェで休憩。Glas Schwarzen Tee mit Zitrone レモンティー1.9ユーロと2 Eierpfannkuchen mit Apfelmus ホットケーキ2枚、リンゴムース添え4.2ユーロ。
●[ブロッケン線]シールケ15:22~ドライ・アンネン・ホーネ15:33
●[ハルツ横断線]ドライ・アンネン・ホーネ15:40~アイスフェルダーT.16:49
写真2-2-57 アイスフェルダーT.駅
シールケで、帰りのノルトハウゼン北行きに乗り、アイスフェルダーT.へ戻って来ました。右は乗ってきた列車。左はこれから乗るクヴェトリンブルク行き。そこへノルトハウゼンから気動車(中央)が到着し、谷間の静かな乗り換え駅は、束の間の賑わい。
右端、青い上着の男性は、ずっとゼルケタール線の列車を追いかけていたようです。
●[ゼルケタール線]アイスフェルダーT.17:02~クヴェトリンブルク19:28
写真2-2-58 シュティーゲ駅3番線に到着 写真2-2-59 機関車を付け替え
左:ループ線があるシュティーゲに到着。1番線にはハッセルフェルデへ向かう気動車が停車。ダイヤでは10分停車となっており、ループ線を走る列車を撮影するため、一旦列車を降りて、列車が動くのを待ちました。ところが奇妙な動きが。
右:機関車だけが切り離されて付替えられ、出発体制になったので、慌てて乗車。
写真2-2-60 後進 写真2-2-61 転線
左:そして列車編成のまま、盲腸線のハッセルフェルデ方向へ後進。右はループ線。
右:そしてクヴェトリンブルク方向へ向かう2番線に転線。
図2-2-62 シュティーゲ駅路線配置図 Wiki.de Bahnhof Stiege(※、独語)掲載図に加筆
このときは、なぜループ線で方向転換せず、こんなに手間がかかるスイッチバックをするのか理解できませんでしたが、旅行記をまとめながら推測すると次のとおり。
クヴェトリンブルク ゼルケタール線 アイスフェルダーT.
①8:30 無蓋車 緩急車 客 車 客 車 客 車 10:50
13:24 無蓋車 緩急車 客 車 客 車 客 車 ②11:05
③13:39 無蓋車 緩急車 客 車 客 車 客 車 ハッセルフェルデ15:59
④ハッセルフェルデ16:09 客 車 客 車 客 車 緩急車 無蓋車 16:43
シュティーゲ17:22 客 車 客 車 客 車 緩急車 無蓋車 ⑤17:02
19:28 無蓋車 緩急車 客 車 客 車 客 車 ⑥シュティーゲ17:32
図2-2-63 編成図
同じ編成でゼルケタール線を1日2往復しているようです。乗車したのは、
行き:①クヴェトリンブルク8:30発アイスフェルダーT.行き
帰り:⑤⑥アイスフェルダーT.17:02発クヴェトリンブルク行き
②の編成は、始発時の編成を実際に見ました。②と⑤は始発時に編成が逆転しています
③④は乗車していないので、私の見立てです。③は盲腸線のハッセルフェルデで、スイッチバックの際に編成が逆転し、⑤はシュティーゲで元の位置関係に戻すため、奇妙な動きをしたのではないか。来年は②~④に乗って、実際に確認してみたい。
写真2-2-64 メクデシュプルング駅 写真2-2-65 ゲルンローデ駅
左:メクデシュプルングで、ノルトハウゼン北行気動車と交換。
右:ゲルンローデの機関庫。行きは逆光でよい写真が撮れませんでした。
写真2-2-66 クヴェトリンブルク駅 写真2-2-67 クヴェトリンブルク駅
左:到着直前、HEXの連接気動車が併走。19時28分定時に帰着。
右:11時間乗っても名残惜しく、折返しゲルンローデ行き列車を見送りました。
●夕食 Halbpension
写真2-2-68 夕食 写真2-2-69 夕食
写真2-2-70
時刻は20時近く。今日は遅くなるので宿に夕食を頼んでおきました。ドリンクを除いてメニューは、これから紹介する1種類だけ。つまり日本旅館の1泊二食スタイルをこちらでは「Halbpensionハルブペンジオン(逐語訳は「半下宿」)と言います。
左横:昨年ドレスデンで飲んだ地ビール Radeberger Pils vom Fass ラーデベルガー・ピルスナー(生)0.4リットル2.5ユーロ。
左上:Lauchcremesuppe ネギのクリームスープ。
右:Schwarzbiergulasch mit Salzkartoffeln und Sommergemüse 黒ビールのグーラッシュ、茹ジャガイモと夏野菜添え。エルディンガー・ヴァイス0.5リットル2.9ユーロはドイツでメジャーな白ビール。
写真2-2-71 白ワイン 写真2-2-72 デザート
左:Oberbergener Grauer Burgunder Prädikatswein, Kaiserstuhl, Kabinett, trockener Weißwein voller feiner Extraktstoffe, nachhaltig im Geschmack オーバーベルゲンのグラウアー・ブルグンダー、上級ワイン、カイザーシュトゥール(注1)、カビネット(注2)、辛口の白、不純物無し、押し味 0.25リットル 7ユーロ。メニュー記載どおりに書き出しました。このように書いてあると選びやすい。
右:Schokoladenpudding mit Vanillesoße チョコレートプディング、バニラソース。
しめて税込 28.9ユーロ。誕生日に1日たっぷり楽しませてもらいました。
注1:バーデン=ヴュルテンベルク州にある地名。逐語訳は「玉座」。
注2:上級ワインに認められた6段階の1番下のランク。
●翌朝の散策と朝食
写真2-2-73 ビスマルク塔
写真2-2-74 公園に咲くタンポポ
宿の向かいにある公園を朝食前に散策。気温は実測で0度前後しかありませんでしたが、晴天なので森林浴が気持ちいい。
公園の中に高さ約20mのビスマルク塔(1896年)があります。らせん階段を上ると展望台があるようですが、扉はふさがれてます。建設当時ここはビスマルクハインと呼ばれていて、東ドイツ時代に今のJohannishainヨハニスハイン(スグリの木立)に改名したとのこと。
右:日本在来種は春に咲きますが、西洋タンポポは年中咲くらしく、この寒さでも綿毛(種)を付けています。ちなみにドイツ語でタンポポはLöwenzahn(ライオンの歯)。
写真2-2-75 朝食 写真2-2-76 中庭のテラス席
左:朝食は、昨日に続きしっかり頂きました。
右:客席の横は中庭。晴天だし、気温が上がれば、テラス席での飲食は気持ちよさそう。
2-3 Gedenkstätte Bergen-Belsen ベルゲン・ベルゼン強制収容所跡
旅行5日目はクヴェトリンブルクを出発し、ベルゲン・ベルゼン強制収容所跡、フィッシュベック修道院を経由してハーメルンまで約280kmのドライブ。到着地ハーメルンの天気予報は晴れ、予想最高気温17度、最低気温-2度で旅行日和になりそう。
クヴェトリンブルクを8時過ぎ出発、ベルゲン・ベルゼン強制収容所跡まで約170km、2時間の予定。素晴らしい青空で、ラジオでも「晴天の日曜日だ」と叫んでいます。
写真2-3-1 高速道路 DR画像
車はブラウンシュヴァイク、ツェレを通過して北上。平日は高速道路を流れに合わせて時速130~150km位で走りますが、日曜日の早朝でスカスカだったので、時速150~180km位でも不安なし。写真のように時速200km位に達することも。時刻は現地時間8時19分。
●「アンネの日記」作者アンネ・フランクが眠る広大な霊園
写真2-3-2 正面入口
途中休憩をはさんで10時過ぎ、林や農地に囲まれた郊外にある収容所跡に到着。
第一次世界大戦時、ここには戦争捕虜収容所があり、第二次世界大戦で、再びソ連軍捕虜収容所が建設され、1943年以降強制収容所に一部改築されたそうです。
通称「休養収容所」と呼ばれ、末期には限界を超えた多数の収容者を飢餓状態において、餓死や病死に追いやり、亡くなった収容者は7万人以上。その多くが収容所跡地に埋葬されているそうです。
写真2-3-3 案内板
左:案内板がありました。なお原文は独語・英語二カ国語なので、日本語は私の拙訳です。以下同じ。
正面:Friedhof Historisches Lagergelände
↑②~⑥霊園 収容所遺構
右手:Ausstellung, Besucherinformation, Dokumentationsstelle, Bibliothek, Cafeteria
→①展示場、案内所、資料整備事務所、図書館、カフェテリア
左手:Pädagogisches Zentrum、Verwaltung
←⑦ラーニング・センター、管理部門
まず右手の案内所へ向かいます。
①はDokumentationszentrumとあるので以下「資料館」と記載します。
写真2-3-4 パンフレットの地図
①資料館の案内所でもらったパンフレットの地図に、赤丸の番号を振りました。以前あった日本語版はもう無いとのことで、独語版を選択。これから①資料館の展示場を見学し、②~⑥収容所遺構を回り、最後に⑦ラーニング・センターの特別展「政治犯 赤い三角」に立ち寄ります。
左端は、戦争捕虜約2万人の墓地。収容所の正門Lagerhaupteingangは右上の[S7]。つまり2007年に新設された①資料館や⑦ラーニング・センターは、歴史的遺跡を保全するためか、収容所遺構の外に作られていることが分かります。
①資料館の展示場
写真2-3-5 展示場通路 写真2-3-6 床の展示物
左:①資料館の展示場に入ると長く薄暗い通路が続き、通路の右側に展示があります。まずソ連兵捕虜が収容された戦争捕虜収容所(1939-45年)について。続いて強制収容所(1943-45年)について。
右:収容者の遺物を展示したディスプレイが、床に多数埋め込まれています。写真はその一つ。
写真2-3-7 展示場から眺める収容所遺構
薄暗い通路を奥まで進むと、建物角に大きな窓が設けられ、「霊園」と言うべき収容所遺構が見渡せます。「薄暗い通路」それはまさに、収容者が歩んだ辛く苦しい人生。それが一瞬で開放的な景色に変わり、死んで解き放れた場所は「霊園」だったという、なんともやりきれない物語性を感じます。
この「霊園」に眠るアンネ・フランク(1929-1945)の説明板がありました。生い立ちからここで亡くなるまでが書かれています。
彼女については、ネット上に多くの情報があり、今更との感もありますが、説明板から要約します。
写真2-3-8 アンネ・フランクの説明板
・1929年フランクフルト・アム・マイン生まれ
・ドイツでユダヤ人迫害が始まり、1933年家族と共にアムステルダムへ移住。
・1940年ドイツ軍がオランダへ侵攻し、ここでもユダヤ人迫害が始まる。
・1942年7月6日潜伏生活が始まる。
・1944年8月4日隠れ家の住人達は親衛隊(SS)に発見され、オランダ北東にあるヴェステルボルク通過収容所(一時拘留所)へ移送。
・1944年9月3日オランダからアウシュヴィッツ行きの最後の移送列車に乗せられる。
1944年10月末、姉マルゴットと共に、ここベルゲン・ベルゼンへ移送される。
・1945年3月地獄のような環境で、姉妹は次々に腸チフスと衰弱により亡くなる。姉マルゴット19才、アンネ15才。正確な死亡日は不明。
なんと不幸な時代に生まれて短い生涯だったかと、改めて心が痛みます。この収容所が英軍に開放された4月15日まで、2ヶ月もありません。
2階へ進むと視聴覚設備があり、パンフレットによれば生き証人400人以上のインタビュービデオ、記録映像45本があります。2~3本聞いてみましたが、いかんせん語学力が伴わないので・・・。
②収容所遺構
写真2-3-9 入口にある碑 写真2-3-10 収容所遺構
左:資料館を出て、②収容所遺構へ向かいます。
右:末期の収容所は病気が蔓延しており、収容所を解放した英軍は、伝染病拡散を防ぐため火炎放射器で施設全てを焼き払ったそうです。そのため、これまで見学した、
・ブーヘンヴァルト(2012ドイツ旅行(5/5)>5-1 強制収容所)
・ザクセンハウゼン(2013ドイツ旅行(3/5)>3-2 ザクセンハウゼン強制収容所)
・ダッハウ(2017ドイツ旅行(1/3)>1-3 ダッハウ強制収容所跡)
と比べると、確かに施設は何も残っておらず、代わりにおびただしい数の遺骨が眠っています。
写真2-3-11巨大墳墓 写真2-3-12 巨大墳墓
左:収容所内には、スイミングプールかテニスコートくらいの盛土したMassengräbern巨大墳墓がいくつもあります。
右:写真の巨大墳墓には「Hier ruhen 1000 Tote April 1945 ここには1,000人が永眠する」と刻まれています。
パンフレットには概ね次のように記載されています。
1941年から1945年にかけて、この収容所で7万人以上が亡くなった。その多くは収容所内の巨大墳墓に埋葬された。今日巨大墳墓13カ所、個人の墓地15カ所がある。
写真2-3-13 ユダヤ人慰霊碑 写真2-3-14 アンネ・フランクの墓(遠景)
左:Jüdisches Mahnmal(1946)ユダヤ人慰霊碑。
右:右後方はObelisk und Inschriftenwand(1952) オベリスク(石塔)と碑文壁。一番手前がアンネ・フランクと姉の墓石。
写真2-3-15 アンネ・フランクの墓(近景)
写真2-3-16
上:墓石が立ち並ぶ一帯があり、アンネ・フランクの墓石は分かりやすい場所にありました。姉妹は先ほどの墳墓のどこかに眠っているはず。あまりに死者が多くて、正確な亡くなった日時も、埋葬されている場所も分からないという、それだけでも惨憺たる気持になります。
左:この墓石の下に遺骨があるわけではありませんが、日本から持参した折り鶴を手向けて、手を合わせました。
③沈黙の堂
写真2-3-17 沈黙の堂 写真2-3-18 沈黙の堂
写真2-3-19
左上:左手奥へ進むと③Haus der Stille(2000) 沈黙の堂がありました。
右上:中に入ると、モノトーンの空間に、天井から大胆に自然光が差し込んでいます。恐らく宗教的要素を排した祈りの霊堂でしょう。誰もいない静寂に満ちた空間に身を置くと、半ば当然のように頭を垂れる気持になります。
左:教会なら祭壇にあたるところに三角形のテーブルがあり、訪問者のメッセージが書かれた多数の小石、メモ紙などが置かれています。ここにも折り鶴を手向けて、手を合わせました。
④オベリスク(石塔)と碑文壁
写真2-3-20 碑文壁 写真2-3-21 碑文壁
左:オベリスク(石塔)と碑文壁へ来ました。多くの献花があります。
右:その一つの碑文を読んで、訳してみます。
In tiefer Trauer und tiefer Ehrfurcht gedenken wir Sinti (zigeuner) der Opfer unseres Volkes.
Durch ihren gewaltsamen Tod sind Sie den lebenden Mahnung zum Widerstand gegen das Unrecht.
深い悲しみとひたすら畏怖の念を抱いて、我々民族の犠牲者となったシンティ(ジプシー)をしのびます。
非業の死を遂げたあなた方は、不正に対する抵抗の生きたいましめです。
⑤収容所本通り
写真2-3-22 収容所のメインストリートがあった場所
収容所遺構はこのような風景が続いています。両側に木立が続くオープンスペースは元のメインストリートで、直線で1km以上あります。収容所の正門は正面奥にあったそうです。
写真2-3-23 説明板:収容所本通り 写真2-3-24 案内板
左:説明板「Die Hauptlagerstraße 収容所本通り」には概ね次のように記載されています。
通りに沿って厨房、防火水槽、食料庫があり、警備員によって常時監視されていた。収容者は昼間の労働の時だけこの通りを使用することが許された。
右:同じような景色が続くので、随所にある案内板で位置を確認しながら回ります。順路に沿って舗装路もありますが、ショートカットするなら露地を歩くので、ぬかるむ悪天候の日は厳しいかなと思います。
どの範囲を見学するかにもよりますが、それなりに歩くので、歩きやすい服装・靴がよいでしょう。
写真2-3-25 説明板:⑥収容所境界線 写真2-3-26 ⑦ラーニング・センター
左:出口へ向かって歩くと、⑥説明板「Die Lagergrenze収容所境界線」がありました。概ね次のように記載されています。
収容所の面積は55ヘクタール。周囲4kmは、木製支柱と高さ2.5mの有刺鉄線のフェンスがあった。敷地内とフェンスに沿って監視塔があり、武装警備員と犬が昼夜巡回した。戦争捕虜と強制収容所収容者とは厳格にフェンスで隔てられており、フェンスに近づくことは許されなかった。脱走に関する情報はほとんど残っていない。
右:ひととおり見学を終えて、最後に⑦ラーニング・センターへ寄ってみました。特別展「政治犯 赤い三角」が開催中。概ね次のような内容で、現在の社会情勢に警鐘を鳴らす意図を感じます。
Sonderausstellung “Politische Häftlinge Roter Winkel„
収容者は色分けされた三角形のバッジを身につけていて、赤は政治犯。
収容者の半分以上は共産主義の政治犯が占め、生き残った政治犯は、ナショナリズム、人種差別、反ユダヤ主義と戦った。しかしその遺産は忘れ去られようとしている。
日曜日だからか、場所柄なのか、旅行2日目に行ったダッハウのような生徒・学生らの社会見学は全く無く、個人グループの訪問者だけだったので、混まずにゆっくり見学できました。それでも最短で資料館1時間と敷地1時間で2時間程度はかかります。
11時45分ベルゲンベルゼン強制収容所跡を出発して、ハーメルンの郊外にある次の目的地フィッシュベック修道院教会まで約120km、1時間半の予定。
2-4 Stift Fischbeck フィッシュベック修道院教会
写真2-4-1 スクーターの一軍 DR画像 写真2-4-2 風力発電の羽を運搬中 DR画像
抜けるような青空のもと、日曜日だからトラックは皆無。渋滞とも全く無縁で、「Fan to Drive、ドイツ語ならFreude am Fahren」を地で行くような楽しさ。
左:出発してすぐ、スクーターの一軍とすれ違い。その数18台。ベスパらしいけど、画像ではよく判別できません。
右:スカスカの田舎道を20数分走った後、高速7号線へ。PAに風力発電所の羽を積んだ長が~いトラック数台が駐車中。ナルホド、内陸部の風力発電所は、船で運べる沿岸部とは違った苦労があるみたい。
写真2-4-3 キャンピングカー 写真2-4-4 駐車したトラック群 DR画像
左:ハノーファーの北にあるRastplatz Seckbruch ゼックブルッフPAでトイレ休憩。キャンピングカーがたくさん駐まっています。
右:本線上で見ないトラックはいずこへ、と思っていたら、SAに隙間無く駐まっています。場所は高速2号線Rasthof Garbsen Nord ガルプセン北SA。このサイト(※、独語)によれば、駐車区画は、大型車用101、乗用車用127もあり、トラックターミナル並みですが、それでも区画からあふれていました。
日経新聞(※、日本語)によれば、大型トラックは法規制で日曜・祝日主要高速道路走行禁止。どうりで皆さん律儀に駐まっている訳だ。
写真2-4-5 昼食 写真2-4-6 事故処理
左:更に15分ほど走って、ハーメルンの北、高速2号線にあるRaststätte Schafstrift Nord シャーフストリフト北PAで軽い昼食。右のカップは飲み物が見えません。実はこれ、わずか25cc位のエスプレッソが、その10倍も入るカップ底に申し訳なく入っています。カップを間違え、レジで払うとき恥ずかしかった。
右:このPAで黒焦げになった大型トラックの後片付けに出くわしました。脱着式コンテナ車の荷台に、燃え落ちたトラックの部品をクレーンで吊って乗せているところ。付近に大型車用のレッカー車や油除去・路面清掃車などもいて、イギリスの人形劇サンダーバードのメカニカルな機材を見ているみたい。
PAを出発した後のドライブも文句なし、快適なドライブでしたが・・・、なかなか目的地へたどり着けない。
写真2-4-7 修道院教会
なぜかしらナビで目的の修道院教会を見つけきれず、30分ほど右往左往してようやくたどり着いたものの、正規の駐車場を見つけきれず、路上駐車して、速攻で数枚の写真を撮りました。全く準備不足。
この修道院教会は、955年に創設された女子修道院に附属するロマネスク様式の教会。ヴェーザー川に沿った約500kmのヴェーザー自転車道の途中にあり、このときもサイクリストを見かけました。
写真2-4-8 エントランス 写真2-4-9 ゲートハウス
左:教会の横を通り抜けて反対側へ出ると、エントランスがありました。こちらが正面で、その前に駐車場も。
右:Torhaus ゲートハウス。直訳すると「守衛詰所」ですが、現在は案内所兼売店のようです。
ここを出発しておよそ8km15分ほどでハーメルンの宿に到着。
2-5 Hameln ハーメルン
●ハンザ同盟都市の歴史を今に伝える豪華な建物群
ハーメルンは、私が作成した「ドイツの都市100選」で第19位とかなり上位。この歳になるとメジャーな観光地は避けていますが、一度訪れてみたいと思っていたので、今回は旅程に入れました。
宿に15時頃チェックインし、ホテルで「日本語のパンフレット」をもらってすぐに旧市街へ。半日ならぬ3時間ほどの観光。さすがどこにカメラを向けてもサマになります。ネットにもたくさんの紹介記事があるので、印象に残った主なものだけ紹介します。
写真2-5-1 マルクト教会と結婚式の館
旧市街の中心にあるマルクト教会聖ニコライ教会(左)とグロッケンシュピール(仕掛け時計)がある結婚式の館。教会は、ロマネスク様式を基調に、北ドイツでよく見かける緑の尖塔を頂いています。
結婚式の館は、堂々とした石造建築の祝祭・式典会場。歴史を紐解くと、ハーメルンは1426年にハンザ同盟に加盟し、17世紀の三十年戦争まで、繁栄が続いたらしく、当時の裕福な時代が偲ばれます。旧市街にはこのような豪華な建物が多く残っていて見応え充分。今日は日曜日。明日の5月1日メーデーまで連休で、しかもご覧の通りの晴天なので多くの観光客で賑わっています。
写真2-5-2 笛吹き男の像 写真2-5-3 ネズミの絵
左:通りに、笛吹き男(ドイツ語では「ねずみ捕り男」)の像(泉)がありました。
右:通りの舗装に埋め込まれているネズミの銅板か陶板。カメラを向けたものの、材質はチェックしていませんでした。
このように、ハンザ同盟都市の歴史的建造物に加えて、「笛吹き男」の伝承があるので、人気の観光地なのも納得。
写真2-5-4 案内板
街角にあった案内板。宿はヴェーザー川の対岸(左側)にあり、この川を渡って旧市街へ来て、赤線のお薦めのコースAltstadtrundgangに沿って観光しました。
川に沿って自転車道が赤点線で示してあります。ハーメルン中央駅は、この地図外の右下。
写真2-5-5 教会参事会館とライスト=ハウス 写真2-5-6 ねずみ捕りの家
左:教会参事会館Stiftsherrenhaus(左) 一般的に通りに妻側を向けますが、この建物は軒先が向いています。落雪が心配。
右側のライスト=ハウスLeisthausは、豪商ゲルト・ライストの住まい跡で、手の込んだファッサードが美しい。現在2棟は繋がっていて郷土資料館です。
右:ねずみ捕りの家Rattenfängerhausの装飾吊り看板。ドイツではこの装飾吊り看板をよく見かけますが、これは特別美しい。
写真2-5-7 ビヤホール 写真2-5-8 夕食
左:さて夕飯をどうするか。表通りのレストランは観光客で溢れているので、一歩裏に入った路地にあったビヤホールBierstube Kitzingerへ入店。時間が早いせいか、常連客で1/3ほどが埋まり静か。
右:Bayerischer Leberkäs mit Spiegelei, Bratkartoffeln und Salat バイエルン風レーバーケーゼ、目玉焼き・焼きジャガイモ・サラダ添え 9.9ユーロ。塩漬けキュウリがど~んと乗っていて、典型的なドイツ料理を食べられるだけで幸せ
写真2-5-9 写真2-5-10 写真2-5-11
左:料理だけで幸せと書いておきながら、やっぱりビールがなくちゃ。まずはビットブルガー0.4リットル3.2ユーロ。普通0.3リットルか0.5リットルだけどその中間とは珍しい。ドイツでメジャーなピルスナーです。
中:2杯目。グラスはケーニッヒ・ピルスナーですが、レシートにはKitzingerと書いてあります。今となっては思い出せません。0.4リットル2.5ユーロ。値段からしても地ビールの生だったかな。
右:チップ込み17ユーロの会計を済ませて、まだ18時。宿への帰り道、甘いものが欲しくて、アイスを買いました。
●ハーメルンで一番印象に残ったのは堰堤だった!
写真2-5-12 Staustufe Hameln 堰堤
人道橋を渡っていたら、ガイドブックには記載が無い堰堤(えんてい)が目に入りました。日本では同様な構造の実物をほとんど見ることが無いので、技術屋だからか興味津々。
Wiki.deのStaustufe Hameln(※、独語)によれば、歴史は古く15世紀に築かれた施設。
左手が水力発電所で、ハーメルンの需要の5%に相当する年間1,200万kWhを発電しているとのこと。
写真2-5-13 案内板 写真2-5-14 運河
左:案内板によれば魚道の大事さは古くから分かっていたものの、サケを復活させるには新しい魚道の必要性が判明し、2001年7月から2002年11月にかけて新しい魚道が造られたとのこと(上:写真2-5-12の中央の青枠)。
右:赤丸が古い魚道。これだけでは役不足だったようです。右手、かつて水運に重要な役割を果たした運河は、今も遊覧船の運行に欠かせない存在。
一般的には、ハーメルン中央駅を起点に旧市街を観光するでしょうから、このヴェーザー川までは来ないでしょう。結局ハーメルンで一番印象に残ったのがこの堰堤。歩き回っていると、意外な発見をして楽しい。それでは川を渡って宿へ戻ります。
2-6 Hotel Bellevue ホテル・ベルビュー
●アメニティが充実した家族経営の三つ星ホテル
写真2-6-1 外観 写真2-6-2 客室からの眺め
ハーメルンの宿は、旧市街地の西あるヴェーザー川を渡ったところにある、家族経営のドイツらしい一般的な三つ星ホテル。エレベーターはありません。
写真2-6-3 客室 写真2-6-4 客室
シングルルーム12㎡1泊朝食付き78ユーロ(泊まり73ユーロ、朝食5ユーロ)。国際的な観光地だからか、冷蔵庫、アメニティなど充実していますが、値段はやはりちょっと高め。別途駐車料金が2ユーロかかり、計80ユーロ。
写真2-6-5 サニタリー 写真2-6-6 サニタリー
ミニマムな造りながら、清潔感のあるサニタリー。
写真2-6-7 アメニティ 写真2-6-8 クローゼット
左:電気ポット、コーヒー、紅茶などもあり、日本のビジネスホテルのような充実ぶり。
右:クローゼットには、扇風機も。ドイツで扇風機を見たのは数えるほど。
写真2-6-9 朝食 写真2-6-10 朝食会場
左:朝食はビュッフェ形式。恐らくドイツ人には家庭で食べる一般的な朝食の内容でしょう。もう少し品数が欲しいところですが、5ユーロ相当なので仕方ないか。
右:朝食会場からの眺め。春のすがすがしい陽気に気分爽快。5月1日メーデーの祝日だからか、お客さんは多かった。8時過ぎ宿を出て、デュッセルドルフへ車を走らせます。
2-7 Nachwort あとがき
●ベルゲン・ベルゼン強制収容所跡への行き方~週末は便が限られる
写真2-7-1 強制収容所跡バス停 写真2-7-2 バス路線図
今回私は車で訪問しましたが、一般的にはツェレを起点にバスで訪れます。公式サイトIhr Besuch(※、独語、英語)にPDF版バス時刻表、PNG版路線図があります。
右:その路線図から該当部分を切り出し。ツェレ[Schlossplatz(城広場)]バス停から強制収容所跡[Belsen, Gedenkstätte]バス停まで直接結ぶ路線はなく、行き方は二つ。
1.反時計回り:ツェレ100番Bergen乗り換え110番→強制収容所跡。
2.時計回り:ツェレ900番Winsen乗り換え110番→強制収容所跡。
所要時間は乗り継ぎの待ち時間も含め約52分~約1時間半。どちらのルートが便利というより、乗る日時により自動的に決まります。平日はそれなりに便がありますが、土曜日は、ツェレ100番10:20発、帰り強制収容所跡Bergen行110番14:35発の1往復のみ。
日曜日はツェレ100番14:20発、帰り強制収容所Bergen行110番17:12発。Bergenから先は大きく時計回りで210番、260番、鉄道を経由してツェレ18:46着の1往復のみ。
左:強制収容所跡のバス時刻表。ここには左Bergen行き110番と、右Winsen行き110番の時刻しかなく、その先のBergen若しくはWinsenで乗り換えてツェレに戻る100番若しくは900番の時刻は分からないし、59分前までに電話予約が必要な便もあるので、帰りの便を確かめてからお出掛けになることをお勧めします。
時間が合わない、もしくは時間が無い場合はタクシーが便利。ツェレから27km26分ほどです。
写真2-7-3 強制収容所跡バス時刻表
●アンネ・フランクの隠れ家を訪ねて~1981年
ズバリ、個人的な思い出の整理です。アンネ・フランクの隠れ家を訪れる方には少し役立つかもしれませんが、それ以外の方は読み飛ばしてください。
今回アンネ・フランク終焉の地を訪ねて、その昔アムステルダムのアンネの隠れ家を訪ねたことを書きたくなりました。今から遡ること36年前、私はドイツで語学研修中。年末年始の休暇は、10日間学友とオランダへ。アムステルダムの運河は氷が張り、地元民は天然リンクでアイススケートを楽しんでいたことが、強く印象に残っています。
写真2-7-4 アンネ・フランクの家 1981年 写真2-7-5 アンネ・フランクの家見取り図
左:1981年12月25日クリスマスの日にアンネ・フランクの家を見学。当時はネット予約なんてものは無いし、真冬のオフシーズンということもあってか、遙か昔の事でよく覚えていませんが、待たずにゆっくり見られたと記憶しています。
写真2-7-6 アンネ・フランクの像
右:そこでもらった当時の独語版パンフレットにマーキングしました。方位は左の写真と同じ。
パンフレットには概ね次のように記載されています。
(青丸)隠れ家入口には、回転する書棚があり、上部には地図が掲げられ、ドアが見えないようになっていた。また隠れ家入口のホールの窓は紙で覆われ外から見えないようになっていた。
(赤丸)アンネの部屋。壁には雑誌から切り抜いた写真が貼ってあった。
左:アンネ・フランクの像は各地にあるようですが、これはアムステルダムから南へ30km、ユトレヒトにあるアンネ・フランクの像 1982年元旦撮影。凜々しく、クスッと立っています。やや上向きで未来を見つめるまなざしに、彼女の無念さを感じます。
写真2-7-7 演劇アンネの日記 1981年 写真2-7-8 独語版アンネの日記
左:1981年11月29日語学学校の旅行で、東ドイツ・ヴァイマールへ。その夜、国民劇場Nationaltheaterで演劇アンネの日記を見ました。写真は当時のパンフレット。
秘密国家警察ゲシュタポが隠れ家に乗り込んで来たところで、ステージが真っ暗になり幕となった、と遠い記憶におぼろげながら残っています。
右:そのパンフレットの内開きで、隠れ家の入口を隠していた書棚と書棚が開いたところ。手前のえび茶色のTaschenbuchペーパーバックは、当時買った独語版アンネの日記(1981年3月第54版)。ドイツ語で読みたいと思いつつ、今だ本棚の肥やし状態。
●ドイツ林業の奥深さを知る
写真2-7-9 ハルツ横断線 写真2-2-10 ハルツ横断線
ハルツ狭軌鉄道の旅で、ベンネッケンシュタインとアイスフェルダーT.の間の車窓から、木材の切り出しの様子が見えました。
実は、2014年のドイツ旅行で、ドイツの林業とその関連産業は、生産額・就業者数とも、自動車、鉄鋼、機械、化学に次ぐ主要産業だということを知りました。ドイツの森林面積は、日本の人工林とほぼ同じ1,000万ha。そこから日本の3倍の木材が供給され、林業産業の対GDP比は5%近くに達するとのこと。
その時、「それはドイツが平坦だからで、山が多い日本は同じようにはできないよな。」と思いましたが、調べたところ、ドイツでも傾斜地は多く、やり方次第らしい。
この写真のように、急傾斜から切り出される様子をみると、改めてドイツ林業の奥深さを感じます。
●Lachen ist die beste Medizin 笑いは最高の薬
写真2-7-11 歯科医の看板
ハーメルンの宿のそばで見かけた歯科医の看板。日本でも「笑う門には福来たる」と言うけど、笑いはナチュラルキラー細胞が活性化して健康によいと言われますよね。実は、この看板の下に小さく書かれている文章にクスっとなりました。
Hochwertige Zahnmedizin(高品質な歯科) 確かに腕次第だけど、下手な先生が多いのかな。
Menschliche Wärme(人間的な暖かさ) わざわざこれを書くとは、ルールはあってもサービスは無いと言われるドイツらしい。
Verlässliche Termingestaltung(訳しにくいけど、「信頼できる予約」) 一般的に予約した時間に行っても、あまりあてにならないのかな。ひねくれ者は、裏読みしちゃいます。今のところ全て自前の歯を、しっかり歯磨きして大切に使いたいと思いました。
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