Stammtisch ドイツ語研究会

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>2003年10月号 ドイツとの関わり、失敗談


ドイツとの関わり
私の母校は、夏期休暇に中国へ短期留学するプログラムがあり、父は「若いときにいろいろ経験するのはよいことだから行くように」と勧めました。私は短期だと効果が小さいので、一年間休学して外国へ行かしてくれと頼みました。で、どこへ行くか? 私は佐世保生まれの佐世保育ちです。町には米国人が沢山います。だから英語を話す国は身近すぎて行きたくありませんでした。しかも英語ができる日本人は多いので、私が少々話せるようになったとしても役に立ちそうにないし、英語なら日本でも十分勉強できそうです。そのときたまたま第二外国語でドイツ語習っていたので、ドイツに行ったわけです。フランス語を選択していたらフランスに、中国語を選択していたら中国に行ったかもしれません。
では、なぜドイツ語を選択したのか。これは母の影響ですね。ミッション系の学校を出た母から「蛙の歌」や「第9合唱」などをドイツ語で聞かされて育ちました。私もまねしてドイツ語で歌えるようになりましが、意味がわかりません。そこで原語の意味を知りたいなと思ってドイツ語を選択しました。
次に、ドイツで何をするか?当時も(今もそうですが)不真面目な学生だった私の語学力と言えば、ドイツ語の字面になれている程度で全然身に付いていませんでした。ドイツ語の先生に相談し、ゲーテドイツ語学校を紹介してもらい、学校の寮で生活しながら1年間通いドイツ語を習いました。南ドイツのシュベービッシュハルという小さな町で半年、北ドイツのゲッチンゲンで半年。大学での専攻が建築だったので、週末は各地の建築を見て回りました(と言うのは建前、観光旅行ですね)。ヴィルツブルグも確か2回ほど訪れたと思います。
1年はアッと言う間でした。当時の失敗談を書き出すとキリがないので今日は書きませんが、毎日の暮らしが冒険で、楽しかったです。帰ってきてしばらくは意気消沈していました。ドイツ語を使うチャンスはないし、同じような経験をした人も周りにいないし、悶々と(笑い)暮らしていました。ドイツ語は忘れる一方です。そんなとき、マラ先生の夏季集中講義を知りました。参加してみてびっくり、長崎にもこんなにドイツファンがいたとは!「私もゲッチンのゲーテに行きました」と言う女性とは、かつての暮らしぶりで盛り上がりました。
これからもこのネットワークを大切にしていきたいと思います。よろしくお願いします。

私がドイツでドイツ語を習っていたとき、学友に中国人や韓国人がいました。かつて日本は侵略戦争を行っていますが、彼らと話すと私も含め日本人が負の歴史についていかに学校で教えられていないことかと唖然とした記憶があります。立場が違うとこんなに見方が違うのかと。アメリカがイラクに対して戦争を仕掛けました。日本に入ってくる情報はアメリカ経由が多いですが、ネットでドイツの新聞記事などを見ると、違った立場があることがわかります。そのような理由で英語以外の言葉を勉強する意義があると思っています。
戦争は基本的に相互理解の不足だと思っています。もし、大統領にイラクの友人が多ければ戦争など仕掛けないはずです。私たちの活動は地道ですが、相互理解がすすめば世界は平和になると思います。

日独交流の夕べでの失敗談
会場でマラ先生が各テーブルを回ってドイツ人にインタビューされ、日本語に訳して会場の皆様に紹介されました。一番最後、私の横のヴォルフガングに来たとき、マラ先生が「幸福さんに代わってインタビューしてもらいます」と振られました。私は驚いてお断りしました。ドイツで暮らしていた頃と違い、今の私にはドイツ語を話す前に一旦頭の中で文章を構成する必要があるのです。
こうやって冷静に文章を書いているときは、質問の言葉がドイツ語でスラスラと思い浮かぶのですが、そのときはもう真っ白でした。でも今思えばドイツ語トレーニングのチャンスをせっかくマラ先生がくださったのに、小心者の自分が情けないです。先生ごめんなさい。私からすれば活水のお嬢さん3人は立派でした。ドイツ語で唄ったんですから。
赤面したついでに失敗談をもう一つ。私のテーブルでどなたかオレンジ色の「保険証」を出されました。それを横にいたヴォルフガングに説明しようにも即座に対応するドイツ語が思い浮かばず、背中合わせに座っていたマラ先生をつかまえて「Krankenversicherung」と教えてもらいました。後で思うと、これは自分の言葉で説明すればよかったなと思いました。「この紙は病院で使う」「これを見せると全部払わなくてよい」だったらドイツ語で言えます。こう説明すれば彼もオレンジ色の紙の役目をわかり、彼の方から「Das ist Krankenversicherung」と言ってくれたはずです。そうすれば私は「Bingo!」と答え、会話が弾んだことでしょう。
「自分が知っている単語で話す」が会話の基本なのに、久々の会話だったのでポカをやってしまいました。

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